昔、大好きだったのに、いろんな気持ちのこじれから、やめてしまったことがあって。


それが今、どういうわけだか、夢にみるほどやりたい熱波が到来し、十数年ぶりに再開してる。




取りかかるにあたって、


「もうこれ、今さらどうにもならないよ。来世持ち越しでよくない?」


そんなことを持ちかけてくる自分もいた。



だけど、気づいてみれば、「この自分」としての人生って、死んだら終わりで、当たり前だけど、「この私」に前世も来世もないのだった。



その事にハッとしたら、来世持ち越しなんて、寝言の極み。いいからやれよ。というわけで、ただ今燃焼中なのです。






人生を振り返って……と言えるほど長くは生きていない(と思う)けど、それでも、振り返ってみれば、満足より後悔の方が多い。



ちゃまは、この人生で、既に2回ほど、軽く死んでおるが、


あれもこれも、なくしたと思ってきたもののほとんどは、


結局、自分が勝手に拗ねて、捨ててきたものだったなあと思う。



どうせ後悔するなら、這いずりまわっても、敵を作っても、やりたいことを、やりたいように、やり続ければよかったのに、


そうするかわりに、自分という最強の力を、ぜーんぶ自分で殺して、捨てて、封印してきた。


もちろん、当時はそうしか出来なかったし、大げさかもしれないけれど、半身と呼べるほど大事なものを捨てるのと引き換えに、命だけは守ったのだと思う。



それほど限界まで頑張ってきたということも、ちゃんと知ってる。



失ったからこそ得たしあわせも、それはそれはたくさんあった。




けど、当時の自分に触れるたび、腹立たしくて、悔しくて、殴ってやりたい気持ちになって、泣きに泣いてしまう。



なんで、あそこで手を離したんだと。



もっと泥臭くやればよかったじゃないかと。





きっと、これからも、いろいろなことに後悔し続けるのだろうし、どんなに後悔しないように生きても、足りるということは、たぶん、ない。


でも、それでいいと思っている。



悔いるということは、失って身を引き裂かれるほど大切なものに出会えたということだ。


それは、満ち足りた生き方と同じく、すばらしい人生ではないか?






ということで、振り出しに戻って、十数年ぶりに返ってきた情熱を、素直にぶっつけ中。


ブランクは、あるような、ないような……


何せ十数年。自分がどのぐらい出来なくなっているか、それすら正確にわからない(笑)




でも、出来る出来ないは、もういいのだ。
←と言いつつ、気になるがグラサン




捨ててしまった大好きなそのことと、再び交流しながら、自分と仲直りしていきたいから。




そうして、今まで以上に、十全に生きて、十全に悔いてやるっ。



「来世」というなら、そうやって、しゃにむに生きてこその、希望の持ち越しなのだよね。






なんか、何書いてるか、いつにも増してわからなくなったけど、読んでくれてありがとううさぎクッキー

では、またね~バイバイ