神社に行くと、いろんな感覚を受けとるけれど、それってぜんぶ、エネルギーのやりとりであって、一回一回が、違って見えるのは、体験の仕方が違うから……かもしれないね。
あ。のっけから、あやしい話ですみませぬよ。
昨日はね、手を合わせた時に、何かがぐうーっとやって来るいつもの体験を、
「なんか来た」というだけじゃなく、
ふたつのものがひとつに合わさった感じとして受け取ったのだよ。
で、神様と自分って、一体になれるんだなあ~と感じたのだけど、
そのことをブログに書こうとすると、自分に若干のうさんくささを感じて、なんか恥ずかしかったのだよね。
そんな時、ふと思ったのが冒頭、「行われているのは、すべてエネルギーのやりとりでは?」ということだった。
何かを「もらった」と感じるとき。
何かが「来た」と感じるとき。
ハートがひらいた、体がゆるんだ、
ふっとい柱がズドンと立った、いい香りがした、
にこにこ笑顔を向けられた、ファミリーに迎えらた、がんばれよって言ってもらった……
神社では、いろんな体験がある。
感覚のどの部分が立っているかで、受け取り方(体験)は変わり、受け取り方(体験)が変われば、表現も別になる。
だけど、どんな場合でも、集約すれば、そこにはエネルギーの交歓と交換があるだけなんだよね。
そしてそして。
暑くて汗が流れるなあとか、風が吹くと、汗の乾く感じがひんやり気持ちいいなあ、とか、
このフランボワーズのムースは、甘酸っぱくて好きだなあとか、こういうのも、ぜんぶ交歓だよなあ…
そう気づいたら、自分の感覚、ちっともうさんくさくないよな、って思い直したのだった。
今、ちゃまは、すごぅく神様の力で進んでる。
そのことは自覚してたつもりだったけど
手を会わせているとき、ぐうーっと重なって来たエネルギーに、
自分以外の誰かが、自分を応援しながら、一体となって生きてくれていること、
生きようとしてくれていることを強く感じて、頭を垂れる思いだった。
この頃、やっと思うのだよ
これまで、バカみたいに自分を殺すことに使ってきた力を、これからは、活かすことに充ててやりたいなあって。
実は今、変化の真っ只中。
おかげで忙しいし、いろんな感情があぶり出されてしんどくもあるけれど、自分の変化じたいが、神様とちゃまとのミキシングである。
神様たちからもらってきた力を、自分のしあわせのため、ただすなおに、喜んで使っていきたいなあと思っている。
なんか、じーんと来るお参りだったなあ。
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そのわりに、しょーもない写真ばっか撮ってたけどな
今日も来てくれてありがとう


