DV男と出逢うまでの大まかな生い立ちを

ザックリとではありますが、紹介させてください。

 

 

私は滋賀県の田舎で、

三姉妹の真ん中として育ててもらいました立ち上がる

 

実家から最寄りのコンビニまで車で5分

自転車で15分くらいの、そこそこの田舎で育ちましたくま

 

私の両親は、私たち子供の目の前でも

よく夫婦喧嘩していたのを覚えています。

 

喧嘩が始りそうな雰囲気になると

姉がいち早く察知して、

私たち妹を2階へ避難させてくれてました。

 

そんな両親は私が小学校3年生の頃に離婚し、

そこから母一人、子三人の貧乏暮らしが始りますww

 

祖父母からの援助があり、

お腹を空かせて泣くようなことはありませんでした。

 

ずっと専業主婦だった母の経済力だけでは

生きられなかったと思いますw

 

父がいた頃は新築の一軒家に住めましたが、

離婚してからは少し狭い賃貸に住んでいました。

 

この頃私たちは母から

「父の暴力に耐えられないから別れる!」

「浮気してた!!」

「お父さんは悪い人だ!」とすりこまれていました。

(なのでこの頃はお母さんが可哀そうと本気で思ってました。)

(今思い返すと父側の気持ちや考えも聞いてみたかったなと思います。)

 

 

金輪際関わりたくないから

慰謝料も養育費ももらわない!と

半ば強引に離婚を押し切った印象でした。

(でも貧乏だったから養育費しっかりもらってほしかったな…)

 

 

離婚してから母は

私たちと口喧嘩するたびに

「あんたら(子供)がいなければ

 お母さん幸せになれたのに!」と

よく言われていました。

 

当時母は複数人の男性と内縁関係にあり

朝帰りすることも多かったので

私たちが邪魔だったんだろうなと思います。

 

小学生ながらに母と喧嘩した後は

姉と「じゃあ産まなきゃよかったのにね。産んだの自分やん。」

とよく話していました。

 

当時まだ幼かった妹は

状況があまり理解できてなかったので、

母が朝帰りする理由は

ハッキリ説明しないようにしていました。

 

それでも一番の被害者はお母さんや!と泣く母が嫌いでした。

私と姉は泣く母を見て呆れてましたww

 

 

そして中学へ進学した私は

入学して悪い間もないころに、

わんぱくな女の子へ余計なことをして

イジメられることとなりました笑い泣き

 

そこから3年間はほとんど友達ができることなく

勉強するぐらいしかありませんでしたw

 

おかげで地元の中では

それなりの高校へ進むことができました。

 

高校卒業後は、

学費が払えないだろうから就職しかないと思い

ギリ卒業できたらいいと遊び呆けていました。

(本当はまわりの子が賢すぎて挫折しただけです笑い泣き)

 

ですが、ありがたいことに

祖父からの援助で私立の短大へと

進学させていただきました。

(学費と生活費はすべて祖父が出してくれました。)

 

母には

学校へ通う電車の定期代と、賃貸の家賃が

ほとんど変わらなかったため

下宿させてほしいとお願いしました。

 

母が家賃を払ってくれる約束だったのですが

実際払ってもらったのは最初の数カ月だけでした。

 

毎月大家さんから滞納の連絡がありました。

大家さんから信用を無くすのが嫌で

ちゃんと払ってほしいと母に連絡すると

こっちもお金ないんや!と逆ギレされましたガーン

 

こりゃダメだ。私がなんとかせねば!と手を出したのが、

最寄駅近くのスナックのアルバイトでしたリキュールキラキラ

 

 

コンビニなど他のバイトより

時給が良かったんですよね…