東日本大震災の被災地でのボランティアに参加しています。
テレビからの情報しか入らない方も多いと思いますので
私が個人的に 行って 見て 感じたこと、体験したことを書きます。
あくまでも私個人の言葉として 受け止めていただけますようお願い致します。
※この記事で使用している写真は了解を得て撮影しました。
10月日記より

お天気は 雨で 外での作業ではなく
屋内作業という ボランティアセンターの要請により
今回は 漁師さんの お手伝いをさせていただくことになりました。
来月から始まる 牡蠣の養殖や
12月から始まるホヤの養殖に使う道具など
津波に流されてしまった為
また一から用意しなければならないとのこと。
漁師のお父さんと(その後、ずっと
「お父さん」と呼ばせていただきました)
一緒に話をしながらの作業は
瓦礫の撤去などとは違い、
ほのぼのとしたものでした。
この重さってどれくらい?何グラム?
って聞くと
「おらぁー ぐらむはわかんねぇ
匁ではかるから」
って。
おーそうかそうか。
このメダルひとつで 150匁
※約 562。5g
ここは体育館。
兼、講堂かな。 舞台もあった。舞台の横に 校歌があった。
歌詞を読んでいたら なんだか胸が熱くなった。
写真は撮らなかったけど、
この辺りは なかなか車も入るのは難しかったようで
未だ 手つかずの状態の景色が広がっていた。
本当に直視できない状態だった。
テレビで散々見てきていたのに(はずなのに)
いざ それを目の当たりにすると
本当に言葉が出ない。


この中学校も
つい最近まで避難所だったのだろう。
寒い春をここで凌いで来たのだろう。 暑い夏を過ごして来たのだろう。
引き取り手のないいろんなものが
無造作に置かれていました。
きっと 後で取りに来るだろうと信じたい。
昔聞いていたのだろうレコード。
一緒に避難したシャーロック・ホームズ。
漁師のお父さん達は とっても楽しそうでした。
おかしな冗談を言って笑わせてくれました。
きっと気を遣ってくれているのだろう。また、そういうボランティアさん達との交流に慣れて
自然にそうふるまってくれているのかもしれない。
身の上話はしない。聞かない。
でも 震災の時の状況は きっと皆が知りたがっていることを知っているかのように
話してくれた。
ホヤの養殖に使う牡蠣の殻。
こんなお手伝いもなければ
そんなことも知らなかった。
牡蠣の養殖には ホタテの殻を使うんだって。
今はこっちでは何も用意できないけど
11月になったら 北海道から
牡蠣の種がくるそうです。
皆で作業し、少しでも漁のお手伝いになれたのなら嬉しいです。
牡蠣は3年後、ホヤは1年後 だそうです。
確認に来なくちゃいけませんね!(^^)
名前を聞くの忘れちゃったけど、 凄い人なつっこいワンちゃん。
皆に愛されているんだろうな~
かなり 年季の入った校舎です。
お父さんに 「校舎、凄く古いねぇ~」 って言ったら
「昔は ここは山で 削ってこの校舎と体育館がでけたんだ。
おらが通った学校は 削られる前の 山の上にあったんだぁ」
と 言うので
「じゃぁ、 この校舎より お父さんの方が先輩なんだねぇ~」
「んだー」 ガッハッハッハ。
ずーっと この町に暮らしているんだ。 この学校の歴史もぜーんぶ知っているんだな。
このメダルは ずーっと使えるんだって。
3年後、牡蠣ができたら取り出して 洗ってまた使うんだって。
漁師さん達の 生活が少しでも早くよくなりますように。
帰り際、お父さん達は 「泊まってけー」って何度も言ってた。
漁師の嫁になれるぞー なんて言ってた。
あれは 半分冗談で、半分は本気なのかもしれない。
ボランティアだけど、人が来るのが嬉しいって言っていた。
お茶や お漬物を出してもてなしてくれたり、心からのおもてなしをされた。
お手伝いに行ったはずなのに、なんだか私たちが とっても元気になってしまった。
また 応援に行くからね!お邪魔にならないように
お手伝いさせていただきたいと思っています。
土曜日の深夜の 東北道のSAは 各地からのボランティアのバスがたくさん並んでいて
ちょっと嬉しい気持ちになりました。