僕の病気は統合失調症という病気だ。

その病気のため現在障害者として生活している。

今は症状がほとんど無い状態だが薬は服用している。

僕が統合失調症を発症したのは今から4,5年前ぐらいだ。


統合失調症とは一般的に幻覚や妄想を伴う精神の病気と言われている。

僕も急性期には幻聴や妄想といったものが現れていた。

幻聴や妄想に支配された生活というものは他の統合失調症を患っていない者からすると異質な生活に映るらしい。

僕の場合、日中は家に閉じこもり気味なのに、夜中に徘徊したりしていたり、突然堰を切ったように涙が溢れ出したりした。

それも統合失調症の幻聴や妄想に支配されていたからだ。

僕は始終、自分は何処かから盗撮されているという妄想に支配されていたり、そんな状況の僕を子供の声が励ますという幻聴によって頑張っていた時期があった。

また、一般的に幻聴や妄想は陽性症状と言われ、統合失調症の核をなす症状であるが、陰性症状と呼ばれる症状もあり、例えば意欲減退などで、日中、何もする気ももてなく一日を家で過ごすというような生活を送っていた。

陽性症状は入院し、治療を行い、自己覚知することによって次第とおさまっていったが、陰性症状である、意欲減退はなかなか直らず、日中はなかなか外に出る気がわかなかった。

症状としての陰性症状と言うものもあるが、薬の副作用という見方もできると思う。


統合失調症の薬である、抗精神病薬は脳内のドーパミンをコントロールする薬であるが、僕の症状が重たかった頃に飲んでいた薬は、このドーパミンの活動を抑える薬だった。

ドーパミンを抑えることによって脳の活動を抑えるのだが、そのことによって脳が休止してしまうような感覚があった。

そのことにより、活動的な発想はできず、どこか体のダルさもあった。

その後、ドーパミンの活動が高いときは抑え、低いときは高めるバランス型の薬が出て、僕はそれを服用し始めることによって大きく症状が改善した。意欲が少しずつ高まってきたのだ。

意欲が高まっていく事により、少しずつ活動する場所が増えていったのだが、地域に出る最初の活動の場は通っていた病院のデイケアだった。

次回のブログでは少しずつ僕が地域に出始めた頃のことを書いていきたいと思う。

前回のブログにも書いたが、僕は祖母と生活を共にしていたことがあり、そのとき祖母は要介護状態だった。

僕は今でこそ介護士であり、「介護」という言葉をよく使うが、元々僕は「介護」という言葉や「世話」と言う言葉が嫌いだった。

それは「介護」という言葉や「世話」と言う言葉には、する、される、という意味を内包していて、僕が祖母のトイレを手伝ったり、歩くときに寄り添ったりすることは生活の一部であり、僕は好んでこういう行動を「遊び」と呼んでいた。

「遊び」と言う言葉を使うときその言葉には、一緒にする、という意味を含んでいる。

する、されるという関係は希薄だ。

だから僕は祖母との関係は一緒に生活する遊び相手だと考えていた。


しかし、僕がプロの介護者となったとき僕は「介護」をする。

もちろん、対価としてお金ももらう。

今、働いているデイサービスでは「介護」と「遊び」の線引きが非常に曖昧なところがあるが、僕は「介護」をしているつもりだ。

やはり、家族という立場と専門職という立場とでは、大きな隔たりがあると思う。

僕はプロの介護者として、利用者さんに接しなければならない。

決して、遊びで仕事をしてはならない。

そこには責任がある。

だけれども、やはり、僕は当時の祖母との間柄である、「遊び相手」という関係が今でも理想的な間柄であるような気がする。

利用者さんに仕事として接する僕と祖母の遊び相手としての僕。

果たして、どちらが当人にとっては必要なのだろうか。

僕にとってはまだまだ分り得ない難しい問題だ。


僕は介護技術を学校で習い、プロの介護職として働いているが、専門知識もさほど無かったころの祖母との「遊び」が今でも現場で役に立っているような気がする。

「遊び心」を持った介護は大切なんじゃないだろうか。

きっとビジネスライクな介護はお互いに疲れてしまうだろうし、あまりにも親密な遊びでは相手にとって失礼だろう。

もっと上手く利用者さんと距離感を保てるように今後努めていきたい。


僕は「介護」をもっと知りたいと思うけれども、祖母との「遊び」も忘れない。

なぜ僕は介護職を選んだのだろう。


この問いは僕にとって基本的問いであり、根源的問いでもある。

人をケアするということの意味を深く考察していけばいくほど、この問いに答えることが難しくなる。

ただ人をケアするという事が人間にとって、いかに重要なことであるかは重々承知である。

なぜなら、自分自身をケアすることを怠って僕は病にかかったからだ。


人が病にかかったり障害を持ったりすると一人では生きてはいけないという事を痛感する。

誰かに助けを求めることで初めて病が癒える第一歩を歩むことになる。

そのことを自分自身実感して、僕の病が癒えたとき、今度は僕が誰かに手を差し伸べようと思ったのだ。


僕自身は、孤独の中で病気を発症した。

そして、現在孤独であったり、助けを得ようとしてもその思いが届かないものがどれだけいるだろうか。

僕はそんな状況を無視できなかった。

特に高齢者と言われる人たちは見えないところで孤独であったりする。

そんな状況をまざまざと知ったのは、自分の祖母の実情を知ったからだった。


詳しい状況は割愛するが、祖母は僕の知らない所で独居で暮らしていた。

その事を知ったのは、僕がリハビリ中のときだった。

僕は祖母と一緒に暮らしていた時期もあり、祖母の介護というか遊び相手だった時期もあった。

祖母は僕の事を可愛がり、僕に良い職に就くことを望んでいた。

なぜなら僕はニートと呼ばれるような状態で、仕事にも行かず、毎日寝たり起きたりしていたからだ。

ただ、今思えば、僕の精神症状はその頃から現れていて、病院に行く事も拒否していた。

そんな祖母と僕とを抱え、家族は混乱していって、最後には祖母は他の親戚に引き取られるということで出て行った。

その後、親戚関係のトラブルで親戚間で連絡が途絶えている間に祖母との連絡も取れなくなっていた。

数年後、なんとか祖母に連絡を取ろうとして、僕の家族は駆け回ってなんとか祖母の居場所を突き止めたとき、祖母は一人で暮らしていた。

そのときの祖母はただひたすら助けを求めていたことだけ覚えている。


現在、祖母は田舎の病院に入院している。今でもたまに来る親戚だけを頼りにしているそうだ。


僕はそんな状況に無力さを感じている。

僕にもっと力があればと。


僕はケアワーカーになったが、いまだ祖母は入院しているし、きっと孤独だと思う。

家族の力や制度はとても無力なのだと実感している。

そして、自分自身の力も。


僕は自分の無力さからケアワーカーを志したのかもしれない。

そして、せめて、僕や僕の周りの人をなんとか助けたいという思いからケアワーカになったように思う。


正直、最初の問いにはなかなか答えづらいものがあるが、今後も自分はなぜケアワーカーになったのかはずっと問い続けたいと思う。