今日ペアトレで話をしていて
ふと思ったこと。
必要だということ。
「発達障害があります」
そう言われてからお母さんの中で
多くは葛藤が生まれるんだと思う。
私の場合は、結構特殊な環境だったので
発達障害は一筋の光でしたが
そこからまず
「発達障害ってなに?」
ただただ漠然とした不安。
どんな風に育っていくのか
見通しも立たなくて、初めて知った
「発達障害」という言葉に戸惑う。
次の段階ではラベリングに入る。
「発達障害のある子ども」
「自閉症スペクトラムなうちの子」
「うちの子はADHDだから…」
そんな感じかな
こんな感じでどんどん理解をしていくよね。
それは決して悪いことでは
ないんだと思う。
でもこれはあくまでも通過点として。
受容に時間がかかるっていうならば
そういう時期を経て
発達障害のある子どもから
1人の子どもとして
見ていけるようなる……はず
ここが岐路なのかも知れないなーと思う。
ただただかわいそうと思ったり…
うちの子は出来ないから…
などなど、ついつい小さいときから
見てきた子どもの一番の理解者として
ついつい先回りしたり
ついつい手を出したり…
それが子どもの成長を妨げるときもある。
でも子どもを振り返ってみたとき
子どもは成長していないですか
必ず成長しているはず。
出来ない出来ないと思っていたことも
少しずつゆっくりなペースだとしても
成長していくんですよね
ちゃんと子どもは
生きる力を持っています。
今あるものと、その先にあるものと
どちらかにわける必要はなくて
発達の土台をしっかりと作ることも
ソーシャルスキル・トレーニングも
褒めるということも
自他を分離することも
どれが正解でどれが間違いなのかではなくて
どれもそのときに必要なものなら
どれもOKなんじゃないかな
共存すればいいんじゃないかなーって。
お母さんにも受容からの階段を
ひとつずつあがって欲しいなと
そんな風に思った今日でした。
