米田先生の記念講演を
お聞きして確信したことが二つあったニコニコ

まず一つ目、
「感覚の違いを理解するということの難しさ」

よく「親と当事者が話をするともめる」
と聞きますがそれが何故かということ。

私の個人的見解は
親の中にある感覚や思考の仕方などと
当事者(子どもを含む)の中にある
感覚や思考の仕方に違いがあることを
想像したり理解したりすることが
お互いに難しいからだと思う。

感覚というものや認知、思考の方法を
意識しながら暮らすことは少ない。

例えば、自分は聴覚過敏だと思いながら
育ってくることはないですよねニコニコ
何かのきっかけでわかることは
あるかも知れませんが…アセアセ
なぜなら、生まれてからずーっと
その音を聞き続けてきたから。

どうしてこうなるんだろう…
きっと当事者、保護者ともに
思っていることなんだと思う。

感覚に素直に生きた結果
当事者からすれば、
「みんなよく聞こえるなー」とか
「そんなん聞こえるわけないやん」とか
実際聞き辛いのでそう思っているけど
親からすれば、自分は聞こえているので
「何で聞こえないの??」
「ちゃんと聞いてないからやん!」
ということが起きるタラー

こんな感じの出来事が
日常、至る所に起きてくるわけです。

そして当事者の方は
親や先生から怒られたり
人格を否定されたり
友だち関係もしんどいなーと感じたり…

一方、親の方は
何回話しても怒っても同じことをしたり
先生や祖父母から言われ
地域では他の保護者の冷たい視線を感じ
親のしつけがなってないからだとか
あそこの子は…と言われたり
けがをさせたりして謝りに行ったり…
こんなことから、第2の当事者と
言われたりしますよね。

この原因は
もちろん特性という感覚や認知、
思考が違うということにあると言うこと。

そこが容易に理解できたなら
早くにいい関係が結べるかも!?

そしてそれは、
発達障害の親子の場合でも同じことである。

同じ様な障害特性だと
自分にも似たようなところがあるので
受け入れていることも多いと思う。

逆に真反対な障害特性だと
ここでも感覚の違いを受け入れれず
怒りにつながることがある。

いろんな親子の像があるんだけど
やはり、感覚や認知、思考が
違うことをすり合わせることに
悩んでいるんだと思う。

ここに共生社会へのキーワードが
あるんじゃないかな?

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