我が家は転勤族だったので、公園で知り合いができかけては引っ越し、また顔見知りができては引っ越し、でなかなかママ友と言えるほど親しい人ができませんでした。
自分のコミュ力のなさや積極性のなさを棚に上げるつもりはありませんが、控えめに言って視覚障碍者はママ友作りには不向きだと思います。
世の中親切な人というのはどこにもいて、困っているところに声をかけてくれたり、用もないのに気さくに話しかけてきてくれたりする優しいお母さんが時々います。
すごく嬉しいし、そういうことがあるたびに「ああ、こんな感じのいい人と知り合いになれたら」、と妄想しますが、なかなか次につながらない。
なぜかというと翌日にまたその人とすれ違ってもこちらは気付かず、相手が気づいて声をかけてくれない限りお礼さえ言えないから。
視覚障碍者は人の顔が見えない都合上、自分から人に声をかけるのが難しく、どうしても受け身になりがちなんですよね。
公園とか子育てサロンとか保育園の送迎とか、ママ友候補との出会いの場は、不特定多数の人が出たり入ったりする流動的な環境で、個人の識別がとても難しい。
ということで私が出した結論は
だったら流動的でない場所を自分で作ってしまえばいいのだ!
という逆転の発想。というか今振り返って考えるとそういうことだったのかな、と思います。
流動的でない環境というのは、例えば私が参加した保育園の役員会、子供会の役員会、各種PTA活動、少人数の子育てサークル、少人数の習い事などです。
この時間にここに行けばこの人たちがいると分かっていれば、声の識別もすぐにできるようになりますし、そうすれば気の合いそうな人に自分から話しかけるハードルもぐっと下がります。
私は保育園や子供会の役員活動をしたおかげで、個人的な話ができる友人をほんの少しと、顔を合わせれば立ち話ができるぐらいの知り合いを何人か得ることができました。
10年以上かかってやっとこれだけってまあ少ないですかね?
でも個人的には十分満足しています。
自分のコミュ力のなさや積極性のなさを棚に上げるつもりはありませんが、控えめに言って視覚障碍者はママ友作りには不向きだと思います。
世の中親切な人というのはどこにもいて、困っているところに声をかけてくれたり、用もないのに気さくに話しかけてきてくれたりする優しいお母さんが時々います。
すごく嬉しいし、そういうことがあるたびに「ああ、こんな感じのいい人と知り合いになれたら」、と妄想しますが、なかなか次につながらない。
なぜかというと翌日にまたその人とすれ違ってもこちらは気付かず、相手が気づいて声をかけてくれない限りお礼さえ言えないから。
視覚障碍者は人の顔が見えない都合上、自分から人に声をかけるのが難しく、どうしても受け身になりがちなんですよね。
公園とか子育てサロンとか保育園の送迎とか、ママ友候補との出会いの場は、不特定多数の人が出たり入ったりする流動的な環境で、個人の識別がとても難しい。
ということで私が出した結論は
だったら流動的でない場所を自分で作ってしまえばいいのだ!
という逆転の発想。というか今振り返って考えるとそういうことだったのかな、と思います。
流動的でない環境というのは、例えば私が参加した保育園の役員会、子供会の役員会、各種PTA活動、少人数の子育てサークル、少人数の習い事などです。
この時間にここに行けばこの人たちがいると分かっていれば、声の識別もすぐにできるようになりますし、そうすれば気の合いそうな人に自分から話しかけるハードルもぐっと下がります。
私は保育園や子供会の役員活動をしたおかげで、個人的な話ができる友人をほんの少しと、顔を合わせれば立ち話ができるぐらいの知り合いを何人か得ることができました。
10年以上かかってやっとこれだけってまあ少ないですかね?
でも個人的には十分満足しています。