ちゃかのふつうなひび、ときどきえっくす -4ページ目

古い写真

 
幕張メッセでの「紅に染まった夜」参戦に合わせて、実家に帰りました。
 
ライブの濃い~い3日間については書かずに、こんな写真を貼ってみます。
 
母親が「こんな写真があったのよー」と見せてくれた、戦前から戦後の写真です。
 
母親は東京の人で、空襲の時に家も写真も全て焼けてしまい、この写真は今は亡き伯父さんが、知人の家から見つけて、みんなにくれたものだそう。
 
昭和12年のお正月の写真

お正月で、みんな晴れ着を着ています。

左側で抱っこされている小さい子が私の母親。

抱っこしているのは、私のおばあちゃん。

その右側の厳格な顔をした人が曾祖母。

母親は10人兄弟の5番目で、右の方にいる人たちは親戚だとか。

この家は、東京の戸越にあり、この時は新築でしたが、数年後に空襲で焼けてしまいました。

伯父さん伯母さん達の顔が、それぞれ従兄弟にそっくりで笑ってしまいます。

 

 

昭和14年の写真
戦争が始まって間もない頃?
うちの母親は、下の左から2番目。
一番大きい伯父さんの制服は、青山師範学校のものだそうです。
上から3番目の兄弟までは、いい学校に通っていたけど、戦争のためその後の兄弟は普通の公立だったんだって(^^;)
 
昭和15、16年ごろの写真
4番目の伯母さんが疎開する時に持たせるために撮った写真。
母は真ん中。
写真館で撮った最後ぐらいかな~、とのことで、戦争が激しくなっていたのですね。
右側の叔父さん、緊張しててかわいいなぁ(^^)
 
このあと、空襲があり、家が焼け、おじいさん(母にとってはお父様)が無くなり、終戦のどさくさで土地も騙し取られ・・・
おばあちゃん(母にとってのお母さん)は、10人の子供を1人で育て、兄弟たちも1枚のお煎餅や、1個のキャラメルを10人で分けるそうな貧乏をしたそうです。
それでも、兄弟姉妹10人元気に育ち、老年まで元気でみんなすごい!
 
昭和23~24年ぐらいの写真。
戦争が終わって、みんなが笑顔で海水浴に行けるようになった頃。
逗子の海に姉妹、従兄弟、姉妹の婚約者と海水浴の写真だそうです。
 
 
みんな若くてきれい。
 
両親が結婚したあとの写真は、実家にたくさんありますが、こんな貴重な写真があってよかったね!
私も見られてとてもうれしかったです。
 
ここにアップしたのは、自分の記録のためもありますが、これだけ古い写真なら「プライバシー」とかもあまり問題ないとも思いますし、もしかしたて「知ってる」人なんかがいらっしゃったら面白いかな、と思ったからです。