且坐喫茶-shazakissa-

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たあいもないです

青白く綺麗な寝顔の雄鷹を見ながら、錦糸雀はひとしきり泣く羽目になった。

寝息さえ立てない、凹凸際立つ美しい横顔。

育ちが良いのか本当に行儀良く静かに眠る姿。


錦糸雀がそれを見るのは別に初めてではない。

しかし、今夜は錦糸雀の目から涙が溢れ、拭っても拭っても止まらない。さらさらさらさらと涙は続く。


不仕合わせの中の仕合せなのか

不仕合せには不仕合せしか無いのだろうか。



錦糸雀は、歌を忘れたフリをしていた。

ひとつの歌に囚われたくなかったからか、今まで沢山の歌を唄って来たからもう十分と閉したつもりだったのかは分からない。


金糸雀は口先から音色を出す事はできるが、歌を思い出す事は到底無いと長年雄鷹は思っているだろう。

第一、金糸雀がそう惑わせたのだから。





幾年経ち、勇ましくなった雄鷹の声と姿、逞しさと狡さに完敗した事を、今生此の夜にはっきりと金糸雀は思い知った。そして自身が歌を忘れてなどいない事も痛切に。


金糸雀は自身の腕を啄ばみ、未だ涙を止められないでいる。



金糸雀はもうすぐ滅ぶに値するだろう。


沢山の歌に埋もれゆくこの音を、自分を、雄鷹にはずっとずっと忘れて欲しくないと、眠る雄鷹の首筋を覆い、滑らかな肩に額を付けて、静々啼いた。



すでに白み始めた明るい明日が、雄鷹の真実なのだ。






先日、2泊3日で渡韓していたのだが、日に日にツラの顔が厚くなっているため、今回はアンニョンとカムサハムニダ以外は日本語で押し通したった。

2年前?初渡韓した際には、出来もしねぇ韓国語と中2レベルの英語とネイティブな東北弁を駆使してなんとか頑張ったり自分より小さい友達の後ろに隠れてみたりしていたが、今回もう頑張ってみるとかそんなんどうでも良くて日本語で返事したった。

するとどうだろう、案外そちらさんたちが頑張ってくれるものだ。

翻訳アプリもあるしね。

仁川、弘大のみなさん優しかった、旅って良いものですね。カムサハムニダ。


帰り際、トラブルがトラブルを招いたが無事帰国。

また行きたいと思う。





さてもさても。

居酒屋さんが日本語メニューを出してくれていて、コマウォ!なんだが

豚骨すいとんマン!なのかな。






あれから9年か
あれから2年か

震災から9年。
愛猫が旅だって丸2年。

未だ癒えない悲しみを過ごす日だが、
本当のところ、私にとって完全に悪い日でもないはず。
今日は私を産んだ母の誕生日なのだから。


あーやばい。真面目に月日に追いつけぬまま年明けを迎えてしまいました。

昨年もとりあえずは色々やっていて、色々宜しいことも宜しくないこともあったりして四苦八苦しながら生きました。
2020年は絶対昇り調子に生きたいです。

そう、そう。
先日、国立科学博物館のミイラ展に行きました。
本国産のミイラが好きなのですが、世界のミイラも堪能しました。
でも結局本国産だと思います。
学者さんと江戸ブラザーズ、本当良かったわー。

今月末にまた東京滞在なんで、何か観る時間あれば嬉しいな。




今日は私の祖母の誕生日だ。
昨年の今日は私どうしていたんだっけ。
あっという間だったわりに昨年の手帳を開かなければ全く覚えていない有様だ。
昨年夏から秋にかけて入退院を繰り返していた祖母のところに通い詰めていた時期ではあるが。。。




昨年の11月に祖母は旅に出た。
静かに呆気なく。

あの日、ずっと病室にいたのにその一瞬、席を離れていた私。
その数十分前までは私の母も妹も弟も病室にいた。なのにあの時、きっと私たちは床払いされたのだと思う。

父と叔父、息子たち2人だけを側に祖母はそっと旅立ちたかったんじゃないかなと後になって思った。


私が病室に戻ろうとエレベーターで階に戻ったと同時に看護師たちが病室に雪崩れ込む姿が見えた。
心電図がナースステーションで管理されていたため、病室の窓辺にいた父と叔父は、少し前から静かに眠っていた祖母の急変に気付いていなかったのだ。

走って病室に入った私より父と叔父が驚いている。


急遽持ち込まれた心電図はもう平行線だったが、信じたくない私が祖母を呼ぶと微かに本当に微かに波打った。それを2、3度繰り返した。

しかし程なく主治医が来て最期を確認した。


勿論、もう祖母が数日、、よもや今日の命だとは解っていた。だから家族は皆集まっていたのだから。
だけれど、あの日はつい1時間くらい前まで話しかければ返事をしてくれていたし、
ただ一時痛みが和らぎやっと眠っているだけだと思っていた。
辛い日々だが明日も会えると思っていた。



あと3週間もすれば命日がやって来る。
あれから1年が経つんだな。
早過ぎて、一周忌の便りが来ても嘘みたいに思ってしまう。


48歳差の祖母と私。
祖母はもう歳を重ねなくなったけれど、私は祖母に1歳分近づいた。

それが1年なんだ。

おばあちゃん、今年もお誕生日おめでとう。