千利休の出身地、大阪・堺で利休屋敷跡までたどり着く。
もちろん柵の中には入ることができない。
柵の外側から眺めていたが…
中に入りませんか?
と、女性のふたりづれ。
片方の方は、堺のボランティアガイドさん。
もうひとりは、案内を聞くお客様のようだ。
ガイドさんは、柵の鍵を開けてくださり、私も一緒に中へ。
なんとラッキー!!
南宗寺でボランティアガイドさんと話し込んでいて、ちょうどよかった!
あと少し早く来てたら、入れなかった…
そして一緒に案内を聴く。
画像は中から撮影した様子。
画像の柵より先、今は建物が見える。
利休のいた時代は海だった。
この利休屋敷跡は、魚屋さんだった。
実家は魚屋を営んでいた。
本名は田中与四郎。
家業を継いで、堺の商人のひとりとなる。
近い位置から井戸を撮影した。
椿の木を炭にして井戸に沈めてあることから、「椿の井」と呼ばれる。
屋形は再建。
利休が建設に協力した、大徳寺金毛閣の古材を井戸の屋形に使っている。
それにしてもラッキー!
ありがとうございました♪
ところで、利休屋敷跡で物思いにふけるはずでは?
それに加え、こちらで出会ったガイドさんと女性と、昼ご飯をご一緒することに。
その後、くるみ餅の店で、かき氷を食べたり…
これでは司馬遼太郎記念館に行くのは厳しいか?
堺にはまだ見所があるから、まだ堺を観ていこう。
お二人とお別れして、私は歩き始めた。