孫の教育考える世代人間になりました。あ、私には孫のマの字も見えません。
私もあと1年で還暦です。もう人生の最後が見えるくらいになってしまいました。
前回の更新をしてから、早くも一年
記事を書くついでに、育児総括も兼ねさせて下さい。長くなりますが、宜しくお願い致します。
長女は来年から『アラサー』世代らしいです。
この一年、大きな動きもありました。長女西アフリカから日本に帰国し、東京の「とある国際機関」にて働いております。ナンノカノと、自分で拓いた道を歩んでいる様です。
また一方では、次女とも『幼児教育についてアレやコレや』と会話もかなり踏み込んで出来るようになっています(驚きの現実
)
本日は海外に若くして旅に出た、長女の現在の様子を紹介させていただきます。
少々変わり者(?)で、一般企業には関心が持てずに、親である私には全く想像も出来ない職業に就くために大学進学先も・留学先も・海外の大学院進学も自分で選んだ娘です。
ひと昔前。長女は語学系の大学に進学したので、言語(フランス語)を使う必要のある会社に入るんだろう、と私は強く信じておりました。
→ 長女の大学一年生の頃に親向けの留学説明会のお知らせがありましたが、興味も示さず資料をポイした記憶があります。
なのに現実は🇫🇷、しかもパリにある大学に留学に行き(交換留学生ですので、学問よりも現地生活を経験することが目的の様でした)
日本の大学院に行く予定もなかったのに、いつの間にか大学卒業すると🇬🇧の大学院に直行して戻って来ました。(こちらは純粋に院生ですので、ヤマの様なレポートに苦しみ抜いて卒業した模様です)
アフリカに関心がある事は知ってました。大学一年生の学祭でTFT活動をして、給食費の支援をしていましたから。そしてアフリカゼミに入って勉強していたらしいです。
なんでアフリカゼミにはいったのかも、説明された記憶はありますが覚えておりません。
ただ、本当に数年後にアフリカで働いてるとはねぇ。夢にも思っていませんでしたけどね。
彼女が🇬🇧の大学院で学んだのは、『開発学』で ‘貧困と格差’ を専攻したようです。フランスかイギリスの院に行きたい!と告げられた時には、心底驚きました。
『オマエさん、ナニをどう考えたらその考えが出てきたの⁉️』 我が家には、すんなり送り出す余裕はありませんでしたのでねぇ...
娘は力強く「私が学びたい分野は、日本では無いの。どうせ勉強するなら学問として確立されている処でしたいから。私が勉強したい「アフリカ」を植民地にしていた英國や仏国のどちらかがベストなんです!」
母の私は、応援せざるを得ないなぁ...と後の事を深く考えない母娘は、欧州の院入学の為に其々のするべき事を開始。
具体的に私が覚えている事は、娘は経済学部ではないので[経済学の英語が苦手だった]らしく、社会人向けの[国際協力関係の英語を勉強する講座]に通ったことくらいです。
この頃彼女は卒論の準備中でしたので、勉強はかなりハードだった模様です。
結果は、イギリス北部の大学院で入学許可を頂けました。
苦しみ付きのハードな勉強を終え院を卒業して直ぐに帰国し、その年の秋から東京のとある「開発コンサルタント」の会社に就職し、主にインドの案件を扱っていました(当時はインド始め東南アジアへの投資が主流)
が、働きながらどうしても自身が学んだ『開発学』をフランス語が公用語の西アフリカで活かしたい、と考えたらしく、半年働いた後に西アフリカの国の【草の根外部委嘱員】に応募しました。
即採用!でしたが、理由は『他に希望者が居なかった』からだそうです。時期も夏場でしたしね。
一緒に仕事をするのは現地人に加えて現地で働くフランス人やイタリア人など。当然、仕事で使用するのはほぼフランス語だそうで...だいぶ訓練された、とのでした。
数年前には在留邦人に、帰国勧告?命令?が出たというその国。エボラ出血熱の流行した国の一つです。
未だに当然文化的な生活は望めないし、リゾートも国に一ヶ所のみで夜は原則外出禁止。日本人は40名強しか住んでいない、と言うところですよ。
滞在前に打った予防接種の数がすっごく多くて驚きました。
よく行ったモンだーー
と母親の私でさえ不思議です。
彼女の仕事には、地方出張もありました。地方出張にも何回も行って来たそうで、5日間で2,000km走ったことがあるとの事。勿論運転手さんが居りますよ、何かと危険ですからね。
こんな仕事を1年9ヵ月していた長女ですが、遂にこの春に日本に戻って来ました。
理由は、私がいつまで元気か不明だからです(笑笑
帰国したモノの就職先は無し。
→ 完全プー太郎、一丁あがり〜‼︎
帰国早々に就職先を焦って決めても、現実的にはアパート探して引っ越しして、といろんな関門もありますからね。4月に帰って来たので、7月から仕事が出来る事を目標に動いていました。
実は私事ですが、3月にギックリ腰をやりまして運転さえ不能状態でした。長女が家の中の事をしてくれ、私の運転手になってくれたのは本当に有り難かったのです。
で、無事に西アフリカ関係の経験者を募集していた処が見つかりまして、現在大都会(?)東京で働いています。
今のところ海外に出るつもりはない、と今後も日本で働く予定だそうです。20歳になってからの多くの時間を海外で過ごしましたしね。暫くは日本の文明生活を送りたいらしいです(笑
まあ兎にも角にも、彼女は自分の夢に向かって歩き続け「希望通りの職種圏」に入った事だけは間違いありません。
はぁ....やっと肩の荷が下りた...
早期教育始めて、約四分の一世紀にして母親、私の本心でございます。
子育てしながらも、今も昔も特に社会で大活躍する人になって欲しいなどとの希望は、母も娘達本人にも全く考えていませんでした...イエ、現在も特別大活躍はしておりません。
現在は、私自身が考えて来た人生に正解はない、とは本当だと実感しているところです。
私の子育て目標、というより自分の人生の指針が
一人の人間として自分自身で納得出来る選択をしながら、後悔のない様に生き抜ける人生を過せる事と考えていました。

その手段として、子供達に早期教育を始めた訳です。
自分達で決めて貰った方が、親の私は楽ですからね。
実際振り返ってみれば、高校生になった途端に学校マルっと任せきりでした。進路決定も本人が、担任の先生と相談して決めていました。
当然、高校時代予備校は通っておりません。
更に決めた第一志望の大学に入学して、自分で選んだ職種を見つけて歩き始めたのです。
ここまで来れば、親として自己満足は満点💯として良し❣️と勝手に感じています(⌒▽⌒)
自身で悩みながらも2本の脚でしっかり立って道を拓きつつ、例え転んだとしても...立ち上がって再度歩み出せる力を蓄えて生きる為にも、思春期にこそ娘たちが自身で考え悩む事が必要だと思います。
なので、アドバイスさえもあまりした記憶がありません。私の職業も免許制ですので、他種業をよく知らないのです。
昔々...大学卒業くらいの年代にナニをしているか
想像だに浮かばないので、子供を知る一環として、娘達に様々な経験を与えてあげた考えて習い事などの機会は「提供」してあげました。
人並みにピアノ教室にも通わせました。でも正直、芸術関係に期待は殆どしておりませんでした。
実は私には自分の幼少期の苦〜い体験があったのです🤭
①ピアノ →親から「姉達と同じく」との理由だけで入れられたので苦痛以外のナニモノでもありませんでした。でも姉達は結構楽しかったらしいです。
②書道 →上の姉は書道の才能アリと認められた程の腕前で、地元では有名処な先生の教室に通ってました。オマケで通わされたワタシ。でも私は座って墨を擦るのでさえ嫌いな子供でした。初回に「反抗の印に半紙数枚を全面黒に塗り潰して」平和(?)退塾した程であります。こちらもかなりの苦痛だったのです。
以上の経験から「お稽古や塾は、親の希望だけで決めてはならない」と確信して子育てしていました。
下手でも、本人が楽しければ良いと考えています。ですのから「本気でやらせたい事があらば楽しく学ばせる工夫をする」のが親の腕の見せどころだとも実感しました。
で、自分でもちょっと自身があった学習方面で頑張った次第です。
幼児時代
目標の目安として、以下の内容を重視しました。
① 字を読める(絵本が読める)
② 字が書ける(鉛筆を使える)
③ 読んだ内容を絵に描ける
④ 読んだ内容の要点を短く書き直せる
④は難関ですが、小学3年生終盤が母である私の目標としたゴールでしたら → その後は塾に任せる気でおりましたので。③までは小学入学前にマスターさせる事が目安でしたしね。
長女はほぼクリアしましたが、次女は...③くらいでつまづきを感じまして

でも、無理強いせずに別な道からアプローチして壁にぶつかりながらも、最終的に本人が立ち上がって「自分のペースで」小学4年生の終わり頃にそこそこ辿り着いた様に感じています。
これは余談でありますが、
子供が複数であると、親の私にはこれまた難しい問題が出てきました!
娘達はそれぞれ全く性格が違います。それがはっきりと見えてくるのは年長さんくらいでしょうか?
長女は何か気になると、解決するまで粘るタイプ。
一方次女は、気になっても深く考えずにスルーするタイプ。
同じ親から生まれたのに、この違いは何だろうか⁉️ 私の教え方が間違ってたのかしら⁇
次女が高校生になるまで、どうしても答えが見つからず悩んでおりました。
一方の長女は私からみれば宇宙人並みに育ってましたので、割り切りが早く出来ました。
人間だから個性が違う、と言うのは充分に理解しています。が正直なところ次女の行動や考えが理解出来なかった事は『教育か?遺伝か?』との問題まで考えるきっかけになりました。
でも幸いに自分の親としてのポリシーの中に「姉妹の比較はするべからず」があったので、かなり忍耐して口には出しませんでした。→ これも三姉妹の末っ子としての経験から来たものです(笑笑) が、現実はシンドイ修業の日々もだいぶ有りましたよ。今では忘れましたがネ

この種の幼少時の子供に対する疑問点は、内容は違ってもそれぞれの子に対して感じます。
その後の長く続く育児過程において徐々に解決された事もありましたし、未だに謎であるところも多々あるのが事実です。
ですから焦らないで大丈夫
。結果を求めても成長中の子ども達には未来の種しかありませんから、どんな花が咲くのかは、時が来るまで分からないモノなんです。
トシと共に言う内容が年寄り臭くなっていて、申し訳ありません。
絵本読み聞かせからスタートした私の早期教育。
「成功ですか?」と聞かれたら
『正直、何が成功なのかが分からない年齢になってしましました。もうそれぞれが自分の人生を歩いていますから』
としか言えません。
ただ、事実として「今現在は
なりました」
とお伝えしたいと思います。
機会がありましたら、娘達に質問形式で聞いてみたい事もあります。
...母を批判されたらどうしよう( ̄^ ̄)ゞ
でも、それは私にとっては子供達を理解する為に貴重な事なのです。
ちょっと楽しみになって来ました。
いつ更新するか全く見通し立っていませんが。
またお目にかれれば幸いです。

が当の本人は「自分は呆けていない」と信じているので、これまた目が離せません。
と時々考えてしまうくらいです(笑笑
)いた訳です。

』の一言でございます

。
