茶色い人がまったりボーっとするブログ*略して「茶ブ」(ブログ名)
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ヤードバーズ脱退後、ジェフはミッキー・モストとプロデュース契約を結び、ソロ・シングル「Hi Ho Silver Lining / Beck's Bolero」を発表する。
この「Hi Ho Silver Lining」は大ヒットし、NME誌のチャートで17位を記録する。

その後ベックは自身の新たなバンドを結成する。
このバンドは一般には「ジェフ・ベック・グループ」と呼ばれている。
ヴォーカルにはショットガン・エクスプレスに所属していたロッド・スチュアート、ベーシストがロン・ウッド、ピアニストがニッキー・ホプキンス、ドラマーがエインズレイ・ダンバーであった。
バンドはこのラインアップでシングル「Tallyman / Rock My Plimsoul」を発表するが、ほどなくエインズレイが脱退、代わってミック・ウォーラー(Micky Waller)が加入し、アルバム『トゥルース』を録音する。
その後、メンバーの確執が表面化、1969年になってロン・ウッドとミッキー・ウォーラーが脱退。
代ってドラムスがトニー・ニューマン(Tony Newman)に、ベースがダグラス・ブレイクに交代したが、ダグラス・ブレイクは短期間で解雇され、ロン・ウッドが再び加入した。
セカンド・アルバム『ベック・オラ』の発表と前後してニッキー・ホプキンスが脱退。
さらにロン・ウッドがフェイセズに加入する為脱退。
ロッド・スチュワートも最終的にロン・ウッドと共にフェイセズに加入する。

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その頃ジェフは、ヴァニラ・ファッジのティム・ボガート、カーマイン・アピスと接近、彼らにロッド・スチュワートをボーカリストとして加え、新たなバンドを結成する予定であったが、直前の1969年11月2日にカスタム・メイドのT型フォードを運転中ロンドン南30マイルのメイドストーンで交通事故を起こし重傷を負い、三ヶ月の入院を余儀なくされる。
この出来事により、新バンドの構想は白紙となってしまう。

怪我が完治したジェフは新たなメンバーを集め、再び自身のリーダーバンドを結成する。
このバンドは日本では「第二期ジェフ・ベック・グループ」とも呼ばれている。
このグループはベースにクライヴ・チェイマン、キーボードにマックス・ミドルトン、ドラマーにコージー・パウエル、ヴォーカルにボブ・テンチというメンバーであった。
このバンドはジャズやモータウンといったブラック・ミュージックからの影響を大きく受けており、それまでのブルース路線とは異なるものだった。

1971年に『ラフ・アンド・レディ』、翌年『ジェフ・ベック・グループ』を発表し、その活動も好調に行われたものの、ジェフは再びカクタスで活動していたティム・ボガートおよびカーマイン・アピスと接触。
8月のアメリカ・ツアーで突如メンバーを変更して、第二期ジェフ・ベック・グループは空中分解してしまう。

バンドに残ったボガートとアピスに加えヴォーカリストとしてポール・ロジャース招聘を図るもこれは失敗し、結局ベック・ボガート・アンド・アピスとして活動することとなる。
ベック・ボガート・アンド・アピスは二枚のアルバムを残し、1974年にはジェフとティムの対立から自然消滅する。

なお、1974年4月のパリ公演後にディープ・パープルを脱退(公式発表は6月)したリッチー・ブラックモアの後釜として候補に挙がっているが、実際にはオーディションに至らなかったと言う経緯がある。