40歳、厄年。

一定の周期で、体なり、考え方なり、環境に変化がくる。統計的ではあるのだろうが、なるほど、昔の人は良く考えたものだ。

 

その厄年にずっぽしハマっている。

 

思えば、私の人生は孤独なものであった。

きっと、今年が厄年で、今は別居の孤独に苛まれているのでそのように考えるのかもしれないが、きっと私の考えは合っている。

 

私の両親は籍を入れていなかった。

父には正妻のようなものがおり、言ってみれば母は妾のようなものだった。

そして、私は二人兄弟の次男坊。

母は妾のような存在だったので、つまり父はそれを養えるだけの財力があり、なかなかの金持ちでもあった。

 

思い返すと確かに何かおかしかった。

父は週に1回くらいしか家に帰ってこない。時には半年ほど帰ってこない時もあった。

父方の田舎に遊びにいった事は一度もなく、祖父母はおろか、親戚にも会ったこともない。

いや、正確には祖父の葬儀の時に、顔だけ見たことはある。

姓は母方のものを名乗っていたが、どういうワケか小学校にあがる時に父方のものに変わった。認知されたのだろうか??

 

家庭環境も変なものだった。

母は毎日のように外で遊び惚けており、家にはお手伝いさんがいた。

はっきり言ってしまうと、私は、そのお手伝いさんに育てられたようなものだ。

母は、帰ってこない父に恒常的に苛立っており、子供である私と兄の成績なり振舞いなりが気に食わないとよくブチ切れていた。

子供ながらに「え~、アンタ育ててないやん。。。」と矛盾に憤ったが、子供なので、「うん、仕方ない」と切り替えを早くするのが生き残る術である。

 

私の場合、次男坊なので、母の気にかけ無さに拍車がかかっている。

兄は長男なので、ある程度、手をかけて育てられてきていた。そして、どこか暴君じみており、私はさんざんイジメられた。

父は帰ってこない、母は外で遊び惚けてる、兄は自分をイジメ倒す、というなんともビーバップでトリッキーな環境で育ってきたと我ながら思う。

 

ただ、金だけはあった。

近所から、裕福なご家庭、と見られており、同級生の間でも「ボンボン」という事で通っていた。

しかし皮肉な事に時は戦後の復興も終わり、勃興のバブリー期。それが弾けると、親父の会社も見事にシンクロして倒産。なんとも惨めな生活になったものだった。

その頃は有名私立の有閑学園でF4の一角を担っていたが、どこぞの同級生が親父の会社の話を聞きつけると、「あれ、君まだ学校にいれるの?」なんて残酷な事を言う世界でもあった。とりあえず、後で、そいつの机の下に鼻くそはつけておいた。

 

そんなこんなの歪んだ幼少期にめげず、真っすぐと育った私ではあったが、どこかで心の闇を抱えている。

すなわち、きっと自分は孤独、という事をどこかで悟っており、でも人に固執する反面、「もー、どーでもいいよー」と人を遠ざけようとする寂しがり君がいる。

 

今がまさにそうだろう。

愛がすっかり目減りした結婚生活にくたびれ、別居している。

それは、心のどこかで孤独を恐れる自分がいて、本当の愛、というタスマニアデビルを探し続ける己のロマンが妥協をゆるさない。

 

兄に相談するも、兄は目が笑っていないポジティブ野郎で、長男なだけにやたらと世間体を気にする。

なので、「俺は関与できないよ。でも応援してる!今度親戚に会う時にはとりあえず伏せておこうね!助けが必要だったらいつでも言って!人生、楽しもう!」といった感じで、笑顔で谷底に突き落とされたので、こいつとは縁を切ろう、という結論が苦節40数年でやっと導かれた。

 

両親も他界しており、残った兄はくそだし、40になると友人も離れて行くし、と、究極で絶対的な孤独を感じている。

 

きっと私はそういう星の下で生まれてきたのだろう。