は小津安二郎監督の映画を、意識して見たことがありませんでした。


山田洋次監督が松尾敏男先生との対談の中で、「すごいな。この監督は」と話されたことで、あらためて調べてみました。


映画人としては、初めて日本芸術院賞を受賞し、小津監督の死と共に、女優の原節子は、一切の公の場から姿を消したそうです。


北鎌倉の円覚寺は参拝したことがありますが、小津監督のお墓があったとは知りませんでした。



墓碑には「無」と、ただ一字が彫られているといいます。


私は対談から、映画界の貴重なエピソードを、監督から生の声で聞き、映画を見直す良い機会にもなりました。



また、松尾先生が絵のお話に切り変えられ、ご自身の創作を話題にされ、無中になりました。


「春の展覧会の作品は、夜中にふと目が覚めた瞬間に、オランウータンを描こうと!オランウータンを描いたことがない。今年はオランウータン!」



私が一番お聞きしたいところにお話が展開し、身を乗り出して舞台を見ていました。




「ふと構図ができ、白の中にオランウータンを描いて、真っ白のイメージができて、好物をちょっと。神様が教えてくれたのかな。やってみると、非常に難しかった」と、松尾先生は制作を振り返えられました。


春の院展に出品されたこの作品は、「森の人」と題されていました。




私にはオランウータンが、優しく、微笑んでいるように感じられました。




「白の余白が、空気の感じができてきて、真っ白い余白を自分の大きなテーマにして、余白があることで絵が生きてきて」



「余白に負けないように、あらたな挑戦を、と考えています」




松尾先生の、このように真摯な追求をされたお話が続きました。




オランウータンは名古屋の人に紹介してもらって、東山動物園の檻の中で、ガラス越しに見て描かれたともお話されました。



ところが、オランウータンは一筋縄ではいかなかった様子で、「毛布をかぶったり、紙をかぶったりして」とのお話に、会場の笑いを誘いました。



私も動物描写を、とりわけ猫で描いた時は、眠って休んでいる間を見計らって、急いで描写したことを思い出しました。



スケッチを初めにされたお話では、「写真は私は使わない。写真を参考にはしましたが、動きの中から、どうしても写生が中心です」と、語られました。




さらに山田監督の映画のお話に戻り、井上やすし氏に捧げて描く、『母とくらせば』の映画のお話になりました。




山田監督は「松尾先生の、故郷のお話でもあります」と、長崎を舞台にした、この映画について語られました。




戦後70年の年に、長崎を舞台に12月に映画化される、不思議なご縁を感じました。




松尾先生はニューイヤーコンサートのお話も、興味深くされました。




「機会があったら、音楽を絵に表現したい。音楽から啓示を受けた『美しく青きドナウ』が、絵にならないかなと感じました」と、お話をされました。





90歳を過ぎてもなお、創作への熱い思いが、お話から伺えました。



山田監督は最後にチャールズ・チャップリンの映画で『街の灯』や、『幸福の黄色いハンカチ』に出演した、高倉健さんの名演技についても賞賛されました。




満足感溢れる対談の一時に、創作への意欲をあらたにして、またいつ来れるか分からない劇場を、惜しんで去りました。