「できない」はあたりまえ

学校で学ぶ基本の五教科の内、得意不得意が分かれる「算数」、「数学」


図形、分数、少数、あまりの出る筆算など躓くポイントは小学校から多々存在する。



私は算数がすごく苦手。

成績はいつも「がんばりまょう」だった。



先生に聞きに行くと、


「なんでそうなるの?」

「どうして出来ないの?」


などの答えが返ってくる。


この何気ない言葉が、


【できない】=【ダメなこと】


という印象を子たちに植え付けているのでは無いだろうか。


分からないことが既にストレスなのに加えて、追い討ちをかけるような答え。



出来ない自分からしたら


「なんでそうなるの?」

「どうして出来るの?」


という疑問で頭がいっぱいなのだ。




「はじめてやるんだもん、できなくてあたりまえ。

できる方がすごいんだ」




​子どもは【理解】を拡散する


教育実習生として母校の小学校で実習をしていた時のこと。


算数の授業を参観していて気づいたこと


それは、【分からないまま時間だけが過ぎていく子ども達がいる】ということ。



「できない」「分からない」= ダメなこと



このイメージが強いのか、分からないことを教師に伝えられない子供がすごく多かった。


その日の放課後、1人の男の子が

「ちゃこ先生、ここ教えて」と声を掛けてきた。


その子を教えていると、ほかの子どもたちもノートを持ってきて一緒に私の説明を聞き始めた。


その子達の疑問は

《どうして小数点は、【 × 】の時は右に動いて、【 ÷ 】の時は左に動くのか》だった。


私も算数は苦手だし、ちゃんとした正解は分からないが自分なりに考え、説明した。



「かけ算した時って数は大きくなる?小さくなる?」


A君「大きくなる!」


「正解。

じゃあ、小数点をどっちに動かしたら数が大きくなる?」


A君「右!」


「正解!素晴らしい!」


B君「わかった!

わり算したら答えが小さくなるから左に動くんだ!」


「正解!天才!」



理解した子どもたちは、他の分からない子たちに教えに行き、私がした説明と同じ様に説明していた。


その説明を聞いて理解した子はまた別の子へと教えに行く。



「僕が教えてあげる!」

「私が教えてあげる!」





​子どもは素直



次の日のお昼休み、A君が笑顔で言った。



A君「ちゃこ先生!

今日の算数はとっても楽しかった!」


A君に続いて、昨日頑張った子達が、

「ぼくも!」「わたしも!」と笑顔で言った。


どうして楽しかったのか理由を聞くと、

「問題が解けたから!」「先生に褒められたから!」と答えが返ってきた。



「分かると楽しい!

「褒められると嬉しい!」




​同じ「?」を返さない


子どもたちは、とても素直で真っ直ぐ。

「どうして?」「なんで?」と思う方向へ一直線に突っ走る。


そんな時、同じように「どうして?」「なんで?」と聞かれると混乱してしまう。


なんて答えればいいのか分からなくなるから。



「どこが分からないの?」って

優しく聞いて。

ボクも、わたしも

頑張ってるんだから



​成長はループする



私たちは子どもたちに教えるだけじゃなく、教えられる存在でもある。


最初の説明で伝わらなかった。

じゃあ次にどうしたら伝わるのか、悩んで、試しての繰り返し。


「分からない」が「分かった」に変わる時、

子どもたちだけじゃなく、私たちも成長している。


私は、【子どもたちと成長していくこと】を大切にしていきたい。




先生から子どもたちへ


子どもたちから子どもたちへ


子どもたちから先生へ