みんなそれぞれ好きな人、もの、ことがあって、好きなものを好きと伝えることは共有することで共感してもらえたり、幸せな気持ちは広がると思います。

 

 

じゃあなにかを嫌いな気持ちは?共感されることはあるけれど、そこから生まれるものはあるのかなと考えることがあります。

今はSNSや動画サイトで気軽にいろんなことを発信できる世の中で、ためになることも、新しいことも見つかるけど、容姿のことや見るまで気にしていなかったこともおかしいと言われているコメントを見て気にしてしまうようになったり、ものごとのものさしがSNSになってしまったり。

嫌いなことを発信して私もと同調が重なっていくところになにかは生まれるのだろうかと考えることがあります。

自分は間違ってないという気持ちが芽生えて、一人じゃないからおかしいんだといってひどい言葉を投げかけるのはとても見てられない。

そんな風に他愛もない日常を挙げていても人の受け取り方がいろいろあるからこそ非難の声が上がることがあるのに、電車の中や町中で落ちたものがあっても見て見ぬふりだ。今起きているものよりもスマホの中に夢中だ。その光景が違和感で不思議だ。

 

なんのためにみんなに見られるところに発信するのか、はたまたみんなが見られる場所ということを忘れているのか、わからないけれど、あとから見返したときに嫌な気持ちにならないものを私は残したいと思う。