流山
前々回のブログから続けてきた流山シリーズもいよいよ今回が最終回でございます。そして今回は街歩き編です。駅前にあるイラストマップを見ると、いろいろ見て回る所がありそうです。夕暮れも迫ってあまり時間がなさそうなので、今日は駅周辺だけをぶらぶらしようと思います。《流山駅前のイラストマップの一部》まずは駅前の道を真っ直ぐ進んで浅間神社を目指します。流山街道を渡り突き当たりを右折した右側に浅間神社の鳥居があります。《浅間神社》鳥居をくぐり本殿の裏に回ると、ありました!富士塚です!《富士塚》江戸時代中期に流行した富士山信仰、いわゆる富士講。富士山に行けない人のために富士山を模した富士塚は各地に造られました。《頂上の石碑》この流山の富士塚は1644年に造られたといわれ、千葉県内では最大級の富士塚といわれています。《富士塚の頂上からの眺め》せっかくなので富士塚に登ってみました。溶岩で造られた狭くて急な登山道を予想外に苦労して登りました。富士塚の周囲は木々が生い茂り、あまり眺めは良くありません。木々が成長していなかった昔はきっと素晴らしい眺めだったことでしょう。《丁字屋》浅間神社の向かい側にあるのは丁字屋というイタリアンのお店。大正12年築の足袋屋さんの建物と屋号をそのまま利用しているお店だそうです。《新川屋土蔵》《ましや土蔵》《あかり館 彩》《笹屋土蔵》その他にもまだまだ古い建物や蔵などが点在していて、まるでどこかの地方都市の街を歩いているような気分になります。《近藤勇陣屋跡》この流山には近藤勇の陣屋跡があります。流山と新撰組?歴史に疎い私にはピンと来ない組み合わせですが、幕末に鳥羽伏見の戦いから敗走した後この流山で遂には自首したそうです。《近藤勇陣屋跡石碑》《近藤勇陣屋跡案内板》近藤勇陣屋跡の近くには閻魔堂があります。金子市之丞と三千登の墓と閻魔木像が安置されています。金子市之丞は義賊だそうです。三千登は遊女だそうです。やはり歴史に疎い私には全く知らない人物です。なんだか井戸と小さな祠と墓地、真夜中ひとりで訪れるにはちょっと怖い場所です。《閻魔堂》《閻魔堂にある井戸と祠と墓地》まだまだ見所がありそうな流山の街、もっと歩いてみたいのですが夕暮れが迫ってきてスマホのカメラで撮るのが厳しくなって来ました。予備知識もなにもなく、思い立ったままに流鉄に乗って訪れた流山の街。予想外に面白い街歩きでした!残念ですが今日はこの辺で撤収しましょかね…この続きはまた次の機会にしたいと思います。