明け方、静かにメールが恩師の訃報を伝えた。

彼はかの戦争を見てきたかのように語るのがつねで、日本人の頭脳のすばらしさと恐ろしさを語った。


わたしの父がわりになってくれた彼の息子さんが事故で亡くなって、わたしがいつまでも悲しんでいると
「日本人はやはりどの国よりもやさしく情の深い国民だ」と言ってくれた。

日本人であることをアイディンティとして強く意識しなさいと言っていた。


彼の知識はその年齢だけの深さとは思えないほど深く、そして全てに独自の解釈をほどこしていた。しかしそれは独自の解釈だというのにこれっぽっちも押し付けがましくなく、またすとんと腑に落ちるものだった。

知識は受け継がれる、という。
そうして人類は発展したのだ、という。

わたしはそうは思っていない。

たしかに文明は蓄積され発展してきたのだろう。

ただ知識はその人の解釈だ。
同じものごとをわたしと誰かが認識をしても、それは決して同じ捉え方ではない。
この世界はパラレル。全てが違うのだ。

違うから他者を認め、敬うのだ。

と、教えてくれたドクターだった。

ひとつの知識の終わり。