〜回天記念館や回天についてのまとめ〜
『回天記念館』
1968年開館。
1998年改修。
回天搭乗員の遺書や写真、手紙、軍服など
遺品約1000点が展示されている。
敷地内には
回天碑、鐘楼、復元した回天の模型があり、
入口までのエントランスには
亡くなられた搭乗員の名前が
刻まれた烈士石碑が並んでいる。
周南市が運営。
条例でも名称は
周南市回天記念館。
住所:山口県周南市大津島1960
『回天』
太平洋戦争時に開発された人間魚雷。
日本軍初の特攻兵器。
1944年に2機の試作機が完成。
同年11月20日のウルシー環礁奇襲で
初めて実戦投入された。
超大型魚雷
九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改造し
特攻兵器としたもの。
改造した回天の全長は14.7m
直径1m、排水量8t
終戦までに420基が生産。
魚雷本体に外筒をかぶせ
気蓄タンク(酸素)の間に
一人分のスペースが設けてある。
ハッチは内部から
開閉可能だが
脱出装置はない。
回天での戦果は
沈没3隻、損傷4隻
母艦の雷撃による戦果2隻。
回天作戦により
搭乗員の80〜87名が
戦死している。
靖国神社
に一型、四型、
山口県の
平生町歴史民俗資料館に二型、
広島県の
呉市軍事歴史科学館
(大和ミュージアム)に試作型
の回天が展示されている。
『黒木博司』
仁科関夫中尉とともに
回天を創案した
日本の海軍軍人。
本格的な回天の訓練が
開始となった翌日の
1944年9月6日
訓練中に荒波によって
回天が海底に鎮挫し
同乗していた樋口大尉と
ともに殉職。
22歳没。
『仁科関夫』
日本の海軍軍人。
特別攻撃隊【菊水隊】で
1944年11月20日
武装タンカーの
ミシシネワへ特攻し戦死。
アメリカ側の戦死者は63名
負傷者95名。
21歳没。