子どもグリーフサポートステーションは、大切な人を亡くした子どものための「グリーフプログラム」を開催しています。
それは、大切な人を亡くし、グリーフを抱えた子どもたちが、ともに遊んだりおしゃべりしたりすることで、「ひとりじゃない」と感じることのできる場です。
グリーフプログラムでは、子どもたちの「遊び」をとても大切にしています。
なぜなら、子どもたちは「遊び」を通してグリーフを表現しているからなのです。
今回は、その「遊び」について書きたいと思います。
子どもたちは「遊び」を通してグリーフを表現すると書きましたが、なぜグリーフの表現方法が「遊び」になるのでしょうか。
グリーフは、喪失体験に伴う悲しみや寂しさ、怒り、愛おしさなど、すべての感情のことを言います。
例えば身近な人と死別したときに、悲しみや寂しさを感じることはもちろん、生前いっしょに過ごした楽しい記憶が呼び起こされたり、また会いたいなと愛おしく思ったり、心にぽっかり穴があいたように感じたり、もっとこんなことしてあげればよかったな…という後悔や罪悪感があったり。
そんなことも全て含めて、グリーフなのです。
大人の場合、これらの気持ちを友人や家族に話したり、ブログや日記に思いをつづったり…ということができると思います。(全てではありませんが。)
しかし子どもは、大人のように言葉による表現が上手ではありません。
ではどのように表現するかというと、身体を使って表現するのです。
米国ハワイで子どものグリーフサポートを先駆的に行うKids Hurt Too Hawaiiはこのように言っています。
子どもたちはグリーフを身体の中の感覚として受け止めます。それを行動や態度で表現します。子どもにとっては話すことではなく、行動で表現をすることでコミュニケーションを図ろうとするのです。
(下線部は、Kids Hurt Too Hawaii「Grief Education for Children and Ohana」より引用)
例えば、ある子どもは、お母さんとケンカをした直後にグリーフプログラムに参加した日、「火山の部屋」でひたすらサンドバッグを叩き付けていました。
ある子どもは、「こっちにこないで」と誰も寄せつけず、1人で静かに過ごしていました。
ファシリテーターにおんぶをしてもらい、スキンシップをとりたがる子、やわらかいぬいぐるみを集めて埋もれている子などもたまにいます。
これらも、子どもの気持ちが行動となって表れていたのかもしれません。
子どもの気持ちは、「遊び」にも表れます。
子どもは、心の中を遊びやゲーム、工作などを通して表現するのです。ですので、子どもたちにとってはこのようなアクティビティは癒しにもつながるのです。
ある子は、ぬいぐるみを使って、死んだ人が死後の世界へ行くというストーリーを作って遊んでいました。
またある子どもは、ブロックを使って家を作り、そこに理想の家族をつくって遊んでいました。
このように「遊び」を通して、子どもは自分の気持ちと折り合いをつけているのだと思います。
また、このようなこともあります。
衝撃的な喪失は子どもたちにとってどうしようもないほど、無力に感じるものです。ところが、遊びを通して自分の中にある力強さと世界を意のままにできるんだという感覚を取り戻します。そして、それはストレスを解消してくれるのです。
例えば、ヒーローごっこ。
ヒーローになりきって、怪獣をやっつける遊びは、子どもが力強さを実感することのできる遊びです。
(このとき、ファシリテーターはだいたい「やられ役」になります…。笑)
喪失体験は、子どもにとってどうしようもない出来事で、無力感を感じてしまいやすいものですが、このように自分で状況をコントロールすることのできる「遊び」を通して、自分に主導権を取り戻していくのです。
子どもたちは自分の中の葛藤を表現するのにふさわしい遊びを選ぶものです。遊びの中で、子どもたちがのびのびと自分を表現できるような選択を与えてあげてください。
なので、グリーフプログラムでは子どもたちの「主導権」を大事にしています。
主導権が子どもにあれば、子どもたちは自ら、自分の気持ちにあった表現方法を選ぶことができます。
子どもたちと一緒に遊ぶファシリテーターは、子どもの遊びに対し、指示したり、誘導したり、評価したり、解釈したりすることはありません。
ただ子どもに寄り添い、子どもを映し出す鏡になります。
そうすることで、子どもたちは力を得て、日常生活に戻っていけるのだと思います。
※文中の下線部は、Kids Hurt Too Hawaii「Grief Education for Children and Ohana」より引用しました。