慢性疲労症候群になり約2ヶ月。

職場には復帰できておらず、

小規模の会社なので、もうこれ以上、

余計に在籍するのも申し訳なく思い、

仕事をやめることにしました。

 

傷病手当金の申請をして、これから、

ゆっくり休んで治療に専念しようと手続きを行っております。

 

去年の終わりに結婚したばかりで、

給料(住宅手当あり)に対して、

ギリギリ生活できるくらいのスタートだったので、

6割程度の傷病手当金でやっていけるのか、

とても不安の中の闘病生活になりました。

 

この2ヶ月間、

まず、病気について知ることと、

給付金の手続きをすることで費やしました。

 

慢性疲労症候群の本をいくつか読んだり、

SNSでリサーチをしていると、結構言われるのが、

「理解されないことが一番つらい」というもの。

 

幸い、私の周りのみなさんは純粋に心配してくださり、

ゆっくり休んでねと言っていただけました。

恐らく、私より前の方々が苦しみながら、

この病気と向き合ってくださったときの知恵を

いただいたがために、大きな苦労がなかったのかもしれません。

 

それはそれとして、

やはり、理解をされにくい病気だなと思います。

 

私は、この病とは別で、慢性的な精神病も患ってます。

その時は、本当に理解されなくてつらかったです。

 

というよりも、自分自身も病気の症状とどう向き合ったらいいのか、

周りにどう伝えたらいいのかをしっかり理解できていなかったがために、

周りもどう接したらいいのかわからなかった、という感じでした。

 

そんな経験を10年以上経験したからか、

今回はいさぎよく仕事をやめ、

頼れるものに頼り切って、

かつ病状を客観的にある程度伝えられたように思います。

 

ただ、それでも、

やはり理解していただくことは、

かなり困難なのだなと思うことがいくつかありました。

 

以下、4つの現象に気がつきました。

 

①周りは、慢性疲労症候群について名前で判断している

②周りは、正直私の病状に興味がない

③周りは、会った瞬間の様子だけで判断する

④周りは、早く治ることに強く期待している

 

ひとつひとつご説明します。

※みんながみんな、こういう態度であるというわけではないことを

前提にお伝えします。

 

①周りは、慢性疲労症候群について名前で判断している

私は、コミュニティが仕事以外に少なくとも3つ以上あります。

自分でも顔は広い方だと自負しております。

私にとって、伝えなければ、今後人間関係に支障がでてきそうな

キーパーソンが多々います。まだ全員には伝えてないですが。

 

みなさんに、お伝えするときに、

「慢性疲労症候群と診断されました」とお伝えすると、

割と多かったのが「あぁ、慢性疲労ね。僕も最近ね〜」

という返しでした。

 

「いえ、これは慢性疲労とは違って、

溜まった疲れが出てきたという病気ではなく、

疲れがなかなかとれない、という病気です」

と伝えるようにしてます。

 

現在、名前が良くないよね、誤解を与えるよね、

ということで名前を変えましょう、という動きも、

あると聞いております。

 

この名前による誤解が

「疲れがとれたらすぐ復帰できそうだね」

「一週間も休む必要はないよね」

「なんか、軽度な病気だったんだね」

という病気に対する過小イメージにつながり、

 

「まだ治らないの?」

「気持ちの問題じゃないの?」

「働き出したら調子治るよ」

などの、的を得ないさらなる誤解に発展していくだろうな、

と思いました。

 

実際は、疲労がたまったわけではなく、

脳の炎症からくる、身体障害で、

原因不明がために難病指定はされていないけども、

難病指定にしてね、と医療界隈では国に働きかけているほどの、

大変な病気なんだ、ということはなかなか伝わりません。

 

 

 

②周りは、正直私の病状に興味がない

なるほど、慢性疲労症候群について、

あまり理解していないからこその誤解なんだな、

ということがわかりました。

 

では、この病気について、

理解してもらえるように、こちらから、

働きかければいいのだな、と思うわけです。

自分なりに調べて、

できるだけわかりやすく、

短く説明文を作りました。

 

そして、発表をするのですが、

あまり理解してもらえなかったのかな、

という反応が多かったように思います。

 

というのも、

「この病気は長引くもので、

すぐに治るものではない」

と伝えたのですが、

 

ある日、顔を出した際に、

できるだけ笑顔で、だるそうにしないよう、

気を使って振舞っていると、

「元気そうだね」

と言われることがありました。

 

「はい、今日は調子がいいです」

と、その日限り、なんとか起きれてます、

という強調をしたつもりだったのですが、

 

どうやら、

「あの子、元気になったみたいだから、

そろそろ復帰すると思う」

という話が広がっていたようでした。

 

もちろん、みなさん真摯に聞こうと、

思ってくださったのだと思いますし、

心配もしてくださっていました。

 

しかし、僕にとっては大きなイベントごとではありましたが、

みなさんにとっては、いつもの日常の中で、

なんらかの病気になって休みがちになっているあの人、

という感覚だったからなのかもしれません。

 

本人にとっては、

事細かく、この症状を理解したいと思うわけですが、

周りにとっては、つまるところ、

「いつ回復しているも通りになるのか」、

という答えだけ知れたらいいのだと思います。

 

これは、みなさんが冷たい人だとか、

理解力のない人だとか、そういう話ではなく、

そういうものだ、ということです。

 

私自身、10年前にウガンダから来た、

孤児たちの生の声を聞いて心痛め、

彼らに何かできないかと思ったことがあります。

結果、なにもしてませんし、日常では忘れ去ってます。

 

今年の1/1に能登で大地震がありました。

あの一週間の間はとても心配しました。

しかし、今や、彼らが何に困っているのか、

どういう気持ちなのかについて、全く知りませんし、

なんなら「自分も地震にあったら怖いな」と、

彼らの心配ではなく、彼らをみて、

自分の心配をするほど、他人事になっています。

 

我が身に起こっていないことは、

なかなか興味が持てないのは、

仕方がないことだと思います。

 

 

 

③周りは、会った瞬間の様子だけで判断する

また、これはよく言われることですが、

「なんか元気そうで良かった」

 

心配してくださって、

調子が良さそうな姿を見ると、

ホッとしてもらえている、

そう考えるようにしています。

 

これは100%善意の言葉なので、

これを悪いものとして扱いたくありません。

 

しかし、ここから、微妙に誤解がうまれ、

大きな誤解へと発展する温床にもなりそうだと、

思いました。

 

日頃は、「体調不良で休んでます」と言って、

なかなか集まりに参加できないのですが、

参加できる日もあるわけです。

 

日本人なのか、営業の職業病なのか、

あからさまにしんどそうな顔をするのは、

失礼だと思い、元気そうに振る舞うことがあります。

 

事実、元気な時間帯もあるので、

普段通りの振る舞いをすることもあります。

 

ただ、そうなると、

「やすんでいるけど、意外と元気じゃん」

「苦しんでいるふりをしてるんじゃないか」

という評価につながりかねないと思いました。

 

その後、家に帰ってからは、

ずっと寝たきりだということは、

誰にも見えない事実なので、

評価の対象外になるわけです。

 

私の場合は、重度ではなく、

1日に1時間程度は家事をしています。

 

なので、あからさまな姿はあまり見られませんが、

生活は、間違いなく困窮しております。

 

みなさんのいる前で、

あからさまに苦しそうにしていなかったり、

町で買い物をしているところを見られたりなど、

見た目のパフォーマンスがうまくできていないと、

理解されない、という状況は、

確かに存在していると思います。

 

いつも、布団で寝ていて、1ヶ月の間、

1日も外出せず、治るまで、姿を見せないくらいの、

迫力があれば納得できる、というのが心情なのかな、

とモヤモヤすることがあります。

 

 

 

④周りは、早く治ることに強く期待している

さいごに、理解されない大きなフィルターとなっているのが、

「早く元気になってね」という期待です。

 

この期待はむしろ感謝なことです。

私を祝福してくださっている言葉です。

 

しかし、やはり、これも誤解を招く、

大きなフィルターとなっているように感じました。

 

期待というのは、

長引くと疲れてくる性質があります。

 

なので、

「どう?元気?」

「いえ、相変わらず調子が悪いです」

 

「どう?元気?」

「いえ、相変わらず調子が悪いです」

 
というのが、何回、何十回と続くと、
やがてこういう言葉に変わっていきます。
 

「いつになったら、元気になるの?」

 

これは、私が精神病になったときに、

如実にあわられました。

 

当時高校生で、

最初はみなさん、

「早く元気になってね!」

「いつでも相談しろよ!」

と多くのクラスメイトからメールをもらい励まされました。

 

しかし、1ヶ月、2ヶ月、半年と、

相変わらず、学校に行けなくなると、

「いい加減、頑張ったら?やる気ある?」

と言われるようになり、一番ショックだったのは、

たまたま学校に行けた日に、私がいることを、

なぜか周りが認知していなかったのか

「あいつ、今日休みだな。留年決定だな」と先生が言うと、

「よっしゃー!!」と一部のクラスメイトから、歓声があがりました。

私が留年することを大喜びしていたのは、

あの、心配してくれてメールを打ってくれた人たちでした。

 

そして、

「あ、先生、僕きてます」

というと先生にいうと、私の存在に気づいた彼らは

「あ・・」と急に静かになりました。

 

「早く治してね」はやがて、

「いい加減、早く治してこいよ」

に変わっていくことを体験した実例でした。

 

 

以上の4つのポイントからわかったことは、

病気の症状や治療の現場を知ってもらわなければ、

周りは病人に対して「怠けてる」「仮病だ」と思えてくるということ。

それなら、病気について理解してもらおうとすると、

案外、興味を持ってもらえないこと。

 

また、この病気はかなりの少数派で、

世間では、かなり認知が低いので、名前から症状から、

なにもかも時間をかけて伝え続けなければ、

なかなか理解してもらえないこと。

そして、そんな体力が自分にはないこと。

 

 

冒頭でも書きましたが、

私はまだ理解のある人たちに囲まれていると

思っています。

 

それでも、困難を感じるので、

もっと厳しい人たちにとっては、

絶望的だろうなと、想像します。

 

これからも、このような発信をしていきます。

ご拝読ありがとうございました。