緊急事態宣言が解除され、季節は移ろい梅雨となった。

毎回ながら、ご無沙汰しておりますあせる

 

4月からのテレワークも、もはや日常と化している。コロナ前と比べて、通勤がないのは楽だが、忙しさは案外変わらなかった。容赦なく飛び込んでくる急ぎの仕事、突然の電話会議。在宅勤務を始めた頃は、リモートで会社のサーバーにアクセスするのにとても時間がかかっていた。最近はこれがかなり改善されたが、一方で、コロナ前よりも押印の必要な書類の仕事が増えたムキー

わが社のペーパーレス化はまだまだ前途多難だ。

 

会社仲間とちょっとした情報交換をするのもテレワークだと少々しづらい。長々とスカイプメッセージのやり取りが続き、30分以上経過したこともあった汗

気がつくと、通勤に費やす時間をそのまま仕事に使い、朝起きてから昼休みもろくに取らず、一日中家に閉じこもって仕事をした日もあった。

 

週に1度か2度は都内のオフィスに出向く。混雑ぶりでは都内でも悪名高い私の通勤電車は、早くもコロナ前の状態に戻りつつあるようだ。私は混雑回避の為、朝一は自宅で仕事し、出勤するのは昼。この時間であれば、電車もそれほど混雑していないので、座って行くことができる。しかし、帰宅時の電車は、遅い時間でも結構混んでいるので、重いパソコンを抱えたまま、手すりにもつかまらず、ひたすら揺れに耐えて立つ。帰宅する頃にはへとへとで、外出自粛による体力の衰えを実感する。コロナ前はよくこれを毎日続けられたものと思う。

 

同僚との情報交換は、やはりオフィスの方が行いやすい。ちょっとした会話で仕事に有益な情報を得られたり、仕事に関係ない何気ない会話が、日々の活力を与えてくれたりする。

ただ、最初の頃よりも気が緩んでいるのは確か。周囲から聞こえてくる大きな声での長いおしゃべりに集中力が途切れることもある。

 

これからは、もっと効率のいい仕事ができるよう、オフィスワークとテレワークと両方のいいとこ取りができるようになればいいと思う。そして、これまでの常識、無言の同調圧力から解放され、自分の頭で考え、いいことをすぐ取り入れるようになれればと。

 

新型コロナウィルスに対するアプローチは世界でも様々だ。どの国もそれぞれの法制度や国民性があり、どれがいい、どれが悪いと一概にはいえない。

日本政府は一貫して対応の遅さを責められているが、それにしても、昨今は政府や都道府県の対応に対して一般市民がSNSなどで声をあげることが多くなり、それが対策に反映されることも増えてきたように思う。政治に関心がなく、何があっても政治家任せ、選挙をやっても、自分が票を入れても何も変わらないから、と投票率が少なかった日本が変わろうとしているのを感じている。SNSは批判や炎上など面倒なところも多いが、最新の有益な情報、はっとするような素晴らしい意見や的確な見方を発信する人も多くいて、私は大いに勉強させていただいている。自分もこのような素晴らしい意見を言えたらなあと思うのだが、なかなか難しいアセアセ

 

https://dot.asahi.com/dot/2020051100004.html?page=1

 

 

 

情報を読む、だけでなく、何か有益なことを発信できるようになれたら、と願いながら、こんなのんびりブログをゆっくり書くのが関の山だ。

 

 

この非常時のテレワークの間、そしてたまの出勤の時、私の心を癒してくれたもの。

ひとつは音楽である。

音楽なら何でも聞く私だが、この時期一番心に響いたのはクラシック。特にモーツァルトの明るく、軽く、のびやかに、きらきらと弾むような音が、ともすると滅入りがちな気分を解放して楽にしてくれた。雑誌の付録のCDで、モーツァルト、ベートーベン、ウィーン少年合唱団、フィギュアスケートの音楽を特集したものがあり、聞く暇がなくて長いこと片隅に放っておいたのだが、これらが仕事の合間にとても気持ちを癒してくれた。

 

のしかかる仕事のストレスで、足取りも重く会社に赴く時は、辻井伸行さんのピアノをよく聞いている。彼のピアノの音色を耳にする時、いつもその澄んだ光のような美しさにはっとさせられる。同時に、品があって格調高く、もやもやした心が洗われ、勇気と力を与えられるようだ。盲目の彼には光が見えないが、彼の心の中にきらきら輝く光が宿り、それが彼の奏でるピアノを通して私たちの心に響くのだろうか。

 

https://youtu.be/AHogmn_7k-Q

 

 

楽しみにしていた美術館展も中止や延期となった代わりに、私の心を癒してくれたのは花である。

今年はいつもの桜の名所での花見もできなかったが、運動不足の解消のために近所の公園をよく歩いた。以前は数か月に1回歩く程度だったのでよく知らなかったが、公園を縁取るようにたくさんの花々が植えられており、季節ごとにいろいろな花を楽しめるようになっていることを知った。桜の木も数本あって、最初に花をつけたのは、花びらの真っ白な大島桜だった。

近くに寄ってみると、その白さが飾り気なく味がないようにも見えたが、遠くから見た時、木々の間でその白さが清々しく際立って見えた。そのあとで薄いピンク色の桜の花が満開になった。ピンクの桜はやはり優美で可憐で、あたりが一気に華やいで見えた。

 

 

 

 

 

桜の花を愛でるだけではなく、京都から桜の金平糖も取り寄せた。

GWに京都に行けない代わりに、このお店の熟練した職人にしか出せない、桜の繊細でほんのりした甘さ、そしてその美しい桜色、御衣黄の薄緑色が心を慰めてくれた。

 

 

桜が散ると、今度はバラの季節が始まる。この公園にはたくさんのバラが植えられているので、毎年開花の時期が来ると、この中で写真を撮りまくるのだが、シーズンにせいぜい1回だった。今年は何度もバラのアーチをくぐることができたし、バラだけではなく、様々な種類の花を撮ることができた。身近にこんなに美しい花を見ることができること、それを世話している人々がいてくれることに感謝である。

 

 

コロナ禍ではっきりわかったことは、私達は必ず誰かのお世話になっているということだ。人間は自然を破壊してきた一方、世話もしてきた。文化、芸術、科学、スポーツ、そして医療。目に見えるもの、見えないものを通して、お互いに影響しあい、支えあっている。政治も経済も、一部のトップやセレブだけが動かしているのではない。彼らもその他大勢の力に影響されているのだ。

 

また、コロナ禍の間に世界に起こった様々なことで、埋もれていた真実が明るみに出され、当たり前だと思っていたものがそうではなかったことに気づかされ、世界のあちこちで膿出しが起こっている。

マスコミが報道するから、大勢の人がいいというから、と情報をうのみにするのではなく、目をしっかり開け、耳をしっかり傾け、自分の頭でしっかり考えたい。

暗闇を出て、世界がまた明るい方向を向く為に。

 

2019年に撮影した桜の写真より

                     上野の東京国立博物館の桜

 

 

小石川植物園の桜