編み物と植物、時々読書

編み物と植物、時々読書

鬱になってしまったギャグ体質人間の、何だか自分でも良く分からない気分の変化を味わっている日々のあれこれ

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 事の起こりは6月の末。レセプト業が多忙を迎える頃。

 午後、急に下腹部に激痛。意識が朦朧とするくらい、痛い。

 過去、一度だけ、同じような激痛を覚えた時は、20時過ぎた頃から腸から出血した事があった。

 その時、翌朝行った病院の医師にも、紹介状を持って内視鏡検査に行った先の医師からも、「そういう時は救急車を呼びなさい」と言われた。

 で、今回も……同じように20時過ぎ、腸からの出血。

 救急車を呼んで、病院へ。

 

 待たされながら血液検査やら、CTやら。治まってはきたものの、お腹まだ痛い。

 で、深夜零時過ぎ、結果発表~!

 

 何と、出血した腸はもうどうでも良くなっていた。

 卵巣と、胸部の血管に問題あり、と紹介状を出された。お腹、まだ痛い。でも、その話は何処かへ消え失せた。

 

 後日。紹介状を持って更に大きな病院へ。

 検査→結果、に恐ろしく日数が掛かりながらも、7月末には卵巣、子宮には癌は無い事が判明。今後は経過観察。で一安心。

 でも、胸部の血管の問題点は、脾動脈瘤と判明。

 そして、この度入院決定。

 いや~、救急車に乗ってから、長かった~。

 

 コロナのお陰で、入退院時の付添も、見舞いも禁止という事で、大荷物背負って行ってきます。カッパの甲羅みたいだよ……

 術後、早ければ3日、長いと一か月以上の入院だそうで。合併症次第ってね。脾臓の梗塞による発熱は確実。膵臓にも影響が出る事があるってなぁ……。

 早く出てきたい。

 何にしても発熱が続くらしいから、纏まった事は出来ないかも、だけど暇つぶしの糸とかぎ針くらいは持って行こう。

 

 そうそう、改めて、何度も家に来られて迷惑していた、某宗教系一派の誘いに乗らなくて良かったよ、と思ったね。

 あちらは、臓器移植や輸血を認めていないが、多分私は輸血が必要になるだろう。

 宗教の縛りで輸血を断って死にたくはない。

 後で、何で輸血した、と非難されるのも嫌だし、面倒臭い。一言、『死にたくなかったから』は、宗教に凝り固まった方には理解できなかろう。そこは死ぬのが正しいと言われるだけだね。

 神様は乗り越えられない試練は与えないそうだが、試練を乗り越える=死、では意味が無いと思うのは間違っている?

 病による死が無くなって、如何なる病であろうと後遺症一つ残らず完全治癒してこその、乗り越えられない試練は無い、じゃないの?

 

 何か憂鬱。

 病院嫌い。

 子供の頃から不思議に思っていた。

 学校の教職に就いている方の職業って、「先生」なの?

 

 私の感覚では、『先生』というのは、『さん』、『様』、『君』と同等の敬称だという事。

 つまり、他者がその方を尊敬するからこそ、「○○先生」と呼ぶのだと思っている。

 実際、教職以外でも、医師や弁護士、文筆家等、他者に先生と呼ばれる方々はいる。

 けれども、自分で自分を『先生は』と言うのは、教職者だけだろう。

 

 昔のヒットドラマの長髪教師の台詞が流行ったの? とも思うけれど、それならば、その脚本を書いた『先生』に伺いたい。

 実際、ご自身は、ご自身の事を『先生は』と言っておられますか?

 いや、私も以前小説もどきを書く仕事をしておりましたので、マスターという敬称を付けて呼んでくださる方もおられました。でも、自分で自分をマスターなんて呼びはしませんわ。こっ恥ずかしいでしょ?

 子供向け漫画なんかで「俺様は」って呼ぶキャラは、ああいうのは言葉遣いでもキャラを作るからね。こんな奴いないよね、なキャラもあるけれど。

 自分で自分を「先生は」なんて言っているのって、このあり得ないキャラの「俺様」と同じじゃん? って思うのよ。昔から。

 

 で、結論。

 小学生の頃から、自分で自分を『先生』と呼ぶ教師は、アウト! と思って冷めた目で見ていた、可愛くないガキでした。

 一昨日、NTTを名乗る、インターネット接続代理店より電話があった。何でも、So-net一本化される、という事らしい。

 聞かれた事は、現在使用中の回線、TVの台数、我が家の所在地。

 相手の返事は、それでしたら、現在の1GBから2GBに速度が上がって、更に軽快にインターネットが利用できて、TVもうちの光回線を提供出来て、お安くなります。

 ん? NTTはどこへいった?

 ついては、モデムの交換が必要なので、その立会いの日付を決める為、後ほど電話します、と。

 

 で、一時間後、電話が。

 御契約ありがとうございます、は良いけれど、何か違和感が拭い去れない。

 今まで通りの環境で、モデムを換えるということですよね? と確認。

 帰ってきた言葉は「そんな事言ってません」

 ああ、確かに言っていないね。でも、それであれば、変更部分の詳細な説明義務がある筈。

 それは一切なかった。

 

 TV、まさかひかりTVに替えるって事はないですよね? (←これで、過去に酷い詐欺に遭っているので、重要部分) フレッツのままで良いんですよね? (最重要)

 いえ、ひかりTVになりますけど、同じように光回線でご覧頂けますので。

 ……あんたは馬鹿か……同じじゃないよ

 

 それね、何年か前に詐欺に詐欺に遭っているんです。BLAST光、って。モデムは2階にあって、TVは一階にあると言っていたのに、その間をLANケーブルで繋ぐって、現実的に無理でしょう? そうしたら、TVの後ろに穴を開けてケーブルを通せば、って。後ろはガラス戸で、穴なんて開けられません。

 

 そうしたら、BLAST光の話をされても、って。私の話をきちんと聞いていましたか? ひかりTVの為のLANケーブルは設置不可能だと言っているんですがね。

 更に、ひかりTVは通常の録画機器が使えない! BLAST光の方は、「ブルーレイディスクやDVDを再生する事は可能です」と言っていましたが、それだけで君は満足できるのか??? 「外付けのハードディスク、量販店なら5000円くらいで買えますよ? 買いたくないんですか?」 (←納得できないものにお金は出したくないです。逆に納得して、欲しいと思ったから0一つ増やした以上の価格のブルーレイレコーダーを買ったんです)

 

 過去のBLAST光の時には、So-netの方が色々相談に乗ってくれておりましたが、結局多額の違約金を支払う事に。

 

 そして、今回はそれを更に悪どくして、必要事項の説明を省いて、とにかくモデムさえ設置しちゃえばこっちのもの、なやり口。

 最初から詐欺をする気だったよね? コロナ不況で少しでも仕事が欲しいか? 私は仕事はちゃんと毎月変わりなくあるけれど、歯科で働いている以上、唾液接触の危険が付きまとっているんだ。電話掛けて他人を騙しているだけで良い、そんな安全な職場じゃないんだ。安全はお金じゃ買えないよ。

 これに関しては、「辞めればいいじゃん」なご意見もおありだろうが、事務所から派遣されている以上、辞めさせてなんかもらえないよ。勝手にさぼったら、罰金だよ。

 

 So-netさん、こんな下請ばかりに回線貸していたら、信用を落とすんじゃないの?

 メインページにクレーム対応の窓口も電話番号もなくて、たった一つのメール窓口は、代理店って。ちょっと、対応悪すぎる。

 

 最近の社会人の言葉の乱れが、どうにも気になっている。

 

 最初に言って置かねばならないのは、客であれば何を言ってもやっても良い、という事が言いたいのではない、という事。

 でも、やはり店員さんやら社員さんには、外の人間に対する態度ってあるよね、という話。

 

 先日、久しぶりの休日で、ぼんやりのんびりTVを見ていた時の事。

 所謂街歩き番組で、ぶらぶらと店を覗いたりする、というもの。

 番組内で紹介された、とてもお高いスイーツ店の、若い店員さんの説明が、やけに耳障り。

「今だけ食べれます」

 基本、ら抜き言葉は嫌いである。

 それと同時に、敬語を使っていない。とてもお高いお店なのにね。

 一応客商売であれば、「今の季節だけお召し上がりになれるメニューです。宜しければ、如何でしょうか」くらいは、店長が教育しておいてくれ、と思うのはおばさんの我儘か?

 いくら何でも『食べれる』は酷い。『召し上がる』という言葉くらいは使ってほしい。

 

 それで思い出した、某芸能事務所。大物の歌手を筆頭に、子分がぞろぞろいるというイメージの事務所である。

 そこにTV局の企画の一部として、その大物歌手に面会できないか、と電話を掛けたシーン。

 芸能事務所の担当者が、社外の相手に対して、「K先生は」と言っている。

 これは、普通の会社では絶対にやってはいけない事ではないのかね?

 電話で対応している私が平社員だとて、それが社長だろうが専務だろうが、社外の相手に対しては、例えば「田中は今、席を外しています」等、敬称抜きが常識。

 そんな訳で、元から男に生まれただけで偉い、な歌ばかり歌っているのが気持ち悪かったその歌手が、更に嫌いになった。

 余談だが、彼は男に生まれるために、何か努力をしたのか? 前世の行いが、とかそういう話では無く、現在の彼として、男になるための努力(勿論、それは論理的に無理なのはわかっているが、敢えて)をしたのか? 女は劣っているのか? 劣っているとしたら、何が?

 筋力が無い……それは仕方がない。それだからこその、性差である。

 脳みその容量が小さい……それでも、並の男性より優れた頭脳の女性はいる。マダム寿司は知らんが、ライス女史はIQ200とか。これに勝てるのは、地球上に何人もいなかろう。

 更に集中力に至っては、女性のここぞという集中力は、男性には勝てないらしい。

 

 もう一つ。これは私に起こった事。

 白髪が気になるようになってきて、太陽薬物でセールの札がついた白髪染めを購入。一箱360円はお買得。

 けれど、家に帰ってレシート見たら、680円で売ってある。何で?

 何か釈然としないし、もしかして、お店のレジの情報入れ替えて無いのかな、という事で電話。

 最初に出た店員さんに、今日何時ごろに白髪染めを買った事、売り場の値札は360円だったのに、レシートでは680円になっていた事、を説明。

「少々お待ちください。調べてきます」

 で、待たされた挙句、最初から何かへらへら笑っている雰囲気の男性と代わっていた。

 面倒くさかったけれど、もう一度最初から説明。

「んふふ……商品名を言っていただけないと、そのメーカーのは幾つもでているんでねー」

 この時点で、既に不愉快。笑いながら対応するって何?

 商品名を告げたのと同時に。

「あぁー、それね。それは昨日までの値段でぇー、今日からは680円なんです」

 最後の「す」に力を込めて、んふんふ鼻で笑っている。

「でも、売り場の値札は360円ですよね?」

 言った瞬間、彼の言葉は急に焦り出し、申し訳ないけれど何をしゃべっているのか聞き取れない程、がーがーワーワー言っている。

 最後の方で『返金』と言っていたので、まあ、後日返金してもらいましたけど。

 最初から、(多分ですが)昨日までの日付の広告を見て、今日行ったら高かった、というクレームを付けてきた、頭のおかしな困った客が電話してきた、と頭から決めつけていたんでしょうね。まったく、時間取らせて、しょうもないクレーム対応させられて、と思っていたのでしょうが、最初からパニックになるまで、鼻で笑いながら、というのは最低。 

 後日、彼の上司から謝罪電話が来ましたが、本人にちゃんと謝らせなさい、なお話でした。

 

 人のふり見て我がふり直せ。

 気を付けましょう。

 

 わたしは幼稚園時代に引っ越しをした。

 今暮らしている、刑務所のある町へ、だ。

 

 新しく通い始めた幼稚園は、刑務所の裏にある。

 キリスト教系だった。

 ここでの基本ルールは、子供の自由に任せる事と、平等だった。

 

 平等とは……。

 何か工作をする、と決まると、親宛に『こういう物を作るから、こういう物を用意して持たせてほしい』という連絡がされる。

 たとえば、瓶に紙粘土を貼り付け、それをビーズやボタンで飾るので、瓶と、飾りになるものを用意して欲しい、というように。

 

 私の母は、子供服の可愛いボタンなどを、服を捨てる前に外して集めて置いてくれていた。

 だから、沢山のキラキラ光るものや、花の形や、綺麗な色のボタンを出してくれた。私自身も宝箱から取って置きのビーズを出して持って行った。

 けれども現実は、『みんな平等』という事で、持って来たものを全て教室の真ん中に出させ、『用意、ドン!』で一斉に取りに行く。

 力の強い者は、弱い者が手にした材料を、殴ったり蹴飛ばしてひったくる。

 当然、負けた方は泣き出すが、『子供の自由に任せる』精神から、教諭は一切注意をしない。

 泣く方が悪い、泣かれると面倒くさい、な態度で見ているだけ。

 

 これは果たして本当の『自由』と『平等』なのだろうか?

 ちゃちな瓶に紙粘土を塗り付けただけのものを持ち、泣きはらした目をした娘と、自分が用意したボタン類を沢山飾って自慢する、同じクラスの子供を見た私の母親の気持ちは如何ばかりか。

 

 此処で、一つ問いたい。

 キリスト教の『平等』とは、こういう意味か?

 

 もう一つ、余談を。

 

 キリスト教の一派が、勧誘に来る。

 その度、我が家は『やる気は無いので、地図に×をつけて、二度と来ないでほしい』と言っている。

 だが、『気が変わったかもしれない』と言っては、また来る。

 他人が本気で迷惑がっている事をするのが、正しいのか?

 また、ある時、その一派が訪問先で配る(売る)小冊子を、電車の中で製本しているのを見掛けた。

 車内はかなり混雑していて、立っている方も多数。

 その中で、シート一列占領し、冊子のパーツを並べ、製本作業を続ける。

 彼らにとって、これは神様の為の正しい行いなのだろう。

 でも、現世に生きる人として、どうなのか?

 それは、迷惑行為、と呼ばれるものではないのか?

 

 現在の私は、信仰を持っている訳では無い。

 ただ、葬られる時は浄土真宗の僧侶に送ってもらう事になるだろう。

 何も要らない。ただ、何処にいても、手を合わせて『南無阿弥陀仏』と唱えれば良いのだ、という教えは私には一番合っている気がする。