我が家のぼっちゃまは貴族である。
匙で掬って運ばれた料理でないと絶対に口にしない。
保育園では自力で給食を完食しているらしいのでこれは完全に甘えだし、本人も「おかーちゃんにアーンしてもらった方が美味しいから」とまた人たらしなことを言ってくる。

思えば息子は4歳で、あと4ヶ月で5歳になる。5歳といえばかの人たらし・クレヨンしんちゃんこと野原しんのすけと同い年である。
「ねーねーおねーさーん」が口癖の年中さんになるのだろうかと一瞬不安に思ったが、よくよく考えたらもう既に「ねーねーおねーさーん」と気さくに話しかけまくる年少さんになっていた。将来が思いやら……楽しみである。

将来、といえば、息子は一体どんな大人になるのだろう?
夭折のドラマに溢れた人生だったので、敢えて先のことを考えないようにしている節が私にはある。
ベビー用品だって本当に産まれてくるのか不安で出産ギリギリまで買えなかった。
男の子だから思春期になれば150cmもない私の身長などやすやすと抜いてしまうに違いないけれど、その話を人にする時はいつも心の中で、時には口に出して、(無事に育てばね)と条件付けしてしまう。
だから将来息子がどんな大人になるのかなんて、今の今まで考えてもみなかった。
よく「どんな人に育ってほしいか思い描いて育児方針を立てましょう」などと言うけれど、私は将来像としてというよりは、現在進行形の同居人としてしか見ていない。ほとんどおこちゃまとして扱ったことがない。
冒頭に書いた「アーン」だって、甘えたい気分のときは、素直に甘えられる状態(コンディションとシチュエーション)にあれば誰だって何らかのアプローチをするのだからその一環だと思っている。子供だから甘やかしているのとはちょっと意味合いが違う。
だから私にとって大人になった息子を想像して接するというのはかなり不慣れな作業なのだ。

人生には沢山の選択肢がある。いま選択権の大部分を握っているのは私たち親であり、その選択決定が後々の子供の選択決定に多大なる影響を及ぼす。
責任重大だ。
さっきから散々考えているけれど、私にはやっぱり将来の息子を思い描くことが全くできない。
今の私にできることは、息子が選択権をある程度使いこなせるようになったとき、なるべくフラットに選択肢が転がっているよう道を均す心構えをしておくことだけかも知れない。