大人のちょっとだけ贅沢な旅 -5ページ目

コスタリカ マイクロロット


朝のタリーズで、一番長い名前のコーヒー豆なんだと思う。

あたたかい日差しに、ゆったりとコーヒーを飲ん、、、でいられない月曜日!

朝からしっかり働かねば。

皆さん、シンドイのは「普通」なんですよね。

だから、耐えろと言うわけではなく、思考を変えて楽しめる方法を考えてみる。

そんな月曜日のあさです朝です。

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旅たらら  はじめて海外旅

何を隠そう、私の初めての海外旅行は高校でのアメリカ短期交換留学時。

パスポートが何を意味するのかすら、あまり良く分からずに取得をしていたんだったと思う。

 

しかもその頃は、観光でもアメリカに入国する際に査証が必要だったので、それこそ準備だけで 「海外に行くってこんなに特別で、こんなに大変なことなんだ!」 と何度も意識づけられた。 

 

ただ、実はそんな煩わしさよりも何よりも、出発までの数ヶ月、兎に角胸がいっぱいだった。

中学校時代に観た映画「戦場のメリークリスマス」を観て知ったデビッドボウイに夢中になり、それから日本以外の「海外」と言う漠然とした地に憧れてるようになり、まさか自分がその「海外」に、こんなに早く行く事になるなんて!と言う感じだったのでしょう。

学校では、出発前の何カ月も前からアメリカ人の先生による放課後特別英会話レッスンが行われ、またそれもが私にはとても楽しく、週一回が待ち遠しくて仕方なかった。  日本に居ながらにして既に旅先を妄想する時間となっていたからだろう。

 出発当日は、まだ国際空港だった伊丹空港に、当然のように父も母も見送りに来てくれていて、涙ながらのお別れだった。。数か月の間の事なのに。

飛行機には乗った事があったので、あまりそこでは違和感を持たなかったのだけれど、飛行機に乗っている時間が長いと言う事をすっかり思考から除外していたらしく、乗ってからは大変な目にあった。

実際、十代の動き盛りの若者が、座席に何十時間も座っているだなんて想像もできない苦行だっだ。 モニターで映画を観たり、本を読んだり、友達としゃべったり、機内食を食べたり、寝たり、、を2回繰り返してもまだ着かない。え!こんなに長い事乗ってもまだなんて聞いてない!狭いしうるさいし、動けないしは相当辛かった。

ただ、それだけに、到着した時はまるで何週間も船旅をしてきたような疲労感と、狭い場所からようやく解放された高揚感が入り混じった感はんぱなく、、そもそも現実か夢なのか分からない浮遊したような感覚の中で、皆とぞろぞろゾンビの様に歩いたような気がする。。。せっかく始めての海外の第一歩にほとんど記憶にないからだ。笑


もう既に30年近く前の旅の話だから、記憶も途絶え途絶え。

その中でも特に鮮明に覚えていることだけを挙げて見ると、、

まず、ホテルの部屋に学生同士で泊まる等と言うのが、あり得ないくらい刺激的だった。それだけで、まるで一人前の大人の女性になった気がしたし。

学校が始まるまでの観光期間に訪れたどこかの都市のホリディイン。今ならあまり選ばないホテルチェーンだけれど、当時はもうなんだか全てが素敵でキラキラに見えた。

部屋が暗かろうが、「わ。なんだか御洒落」。 置いてあるバスタオルやフェイスタオルがごわごわしていても、そのデザインされたロゴ刺繍を観て 「わ。ステキ」。 見慣れないベッドの上に転がってる2つの枕に、「え!?ひとり二つ!?ステキ」となってた。 ロビーに階段で下りて行った際に感じた天井の高さ、シャンデリアの大きさ。 全てにキラキラした視線を送っていたはず。

ショートトリップで連れていってもらったマウントラッシュモア近くのロッジでは、はじめてジャグジーなるものを目にした。。。ロビーに大きなテラスがあり、確かその奥に大きな丸い木のバスタブが設置してあったように思う男女入り混じって、大人や子どもが、湯気を立てる中で談笑しながら入ってたっけ。。。もうステキ過ぎる。。。自分たちの部屋からも見えるその光景を、緑の木々が生い茂る背景と一緒に、ずーっと眺めていたかった。。(が、確か早朝からの移動で途中寝落ちしたはず。。)

観光移動は全て貸切バスだったので、私は外の景色を思う存分楽しみながら、その頃ハマっていた「スティング」の曲をウォークマンで聴くことが最も好きな旅の動作になっていた。 

留学先のサウスダコタ州の小さな都市からデンバーへ。デンバーからソルトレイクへの道のりでは、荒涼とした平地にバッファーローの群れが遠くに見えたり、切り立った断崖や、地層が丸見えになった山々も。 大きなサボテンや、観たこともないくらいに高い木が連なる景色に、一分一秒たりとも無駄にすまいと起きている間は目を凝らして記憶に刻んでおこうと思うのに、続く日々の刺激とバスの心地よい揺れに、恐ろしい程の睡魔が襲いかかってきて、やがては寝落ち。。。もちろん夜は紛れも無く、気絶するように毎日寝ていたのは間違いない。夜に何かをした覚えが全くないからだ。

どんな人に会っても、男性は皆ハンサムで女性は美女に見えた。

スタイルも、お腹が出ていても、お尻がでかくても、メリハリがあってとにかくステキだった。

一体、この国はどうなってるんだ!私達のこのスタイルの悪さと貧相な顔は何なんだ!と一種カルチャーショック?!に打ちのめされ続けて鏡さえ見る気を失せた。。

建物も、教会や国会議事堂、裁判所、銀行、どの家に至っても御洒落でステキで、たまらなく羨ましかった。 

ただし食べ物だけは、調理の過程が目に見える雑多なものばかりであまり楽しんでは無かった。特に豆料理とステーキの組み合わせは、どこに行っても同じ味で出てくるので飽きてしまい、最後は見るのも嫌になっていたっけ。

食事のシーンではっきり覚えているのは、大学の食堂で食べたハッシュドポテト。唯一、美味しいと思えたから。あとはトーストが薄切りで好みだったことと、ホームスティ先で「日本食が恋しいだろう!?」と出された夕食が、白米を焚いたものと、ケチャップ、塩だけだったこと。

それにホストのお母さんが留守の際に、お父さんに連れてってもらったピザ屋で、あてがわれたのがワンピースのピザだけだったこと。(笑)

  旅先で、食べることをとても大切にしている今の私には、考えられないくらいに貧相な食事だったけれど、こんなにも細かく新鮮に、楽しい思い出として、ひとつひとつ覚えているなんて。

忘れていた「旅」の感覚が少し蘇って来ました。 

 

 

 

旅たらら


「いつか死ぬんだったら、いま行ってしまえ。」

それが最近の私の旅の動機。

新たな場所に行ってみたいとか、以前見たあの素晴らしい景色をもう一度訪ねたいとか

歳を重ねると共に、そんな気持ちが昔より少しずつ少しずつ減っていく中で、時々どうしても行きたくなる時があって。

そんな時、唱える?のがこの文言みたいなもので、そのうちほんとに出発の空港や駅に立つことになる。

「旅」を初めて感じたのは、子供の頃に何家族かで寝台列車に乗った時だったと思う。

その時わたしは小学校低学年で、朝靄の中で駅に降りたった瞬間、初めて感じたものすごい異空間を、頭はぼんやりしていて、まるで夢の中にいるような感覚だったのに今でも覚えている。

太陽の光がまだ出きっていない早朝は、何もかもがモノクロームのように色がなくて、周りの家族や知り合いが皆んな、まるで映画の中で演技している人達のように他人に思えてギクッとしたり。

でもそれは、自分もその中の登場人物でなんだかかっこいいと思えてドキドキして。。
当時、学校がある意味が全く分からず、聞いても明確な答えが得られない事で溶け込めない、自己主張が激しい変な子供だった私は、いじめのよいカモだったらしく、そんなのにグチグチしている自分を根こそぎ変えてくれる気がして嬉しかった事も覚えている。

だけれども、そんな違和感や異空間には時間と共に「慣れ」てきて、やがてそこに順応しようと、感覚は平凡なものになっていく。
そしてそれは、夢から覚めてしまったようになり、とてつもなく悲しい事だった。

そんなのは、大人になるまでずっと続いていて、プライベートでも仕事でもしょっちゅう旅をするようになってからようやく、そんな抑揚は無くなった。。。と言うか無くしてしまったのかもしれない。

だから今の私の「旅」は自分にコントロールされた「旅」であって、昔のそれとは全然違う。

それなのに今。私はあの頃の帰りの飛行機で「帰りたくない。戻りたくない」と涙した「旅」をしたいと思っていて、

そんな「旅」のシーンをわざわざ頭の中から取り出そうと、このブログを書いています。

しばし、お付き合いいただければ
嬉しいです。

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