伊達騒動ってご存知ですか?
小説や時代劇、歌舞伎なんかにもなりましたが、
一番有名なのは山本周五郎の「樅ノ木は残った」かな?
1970年のNHK大河ドラマになり、
その後、1983年仲代達矢さん、1990年里見浩太郎さん、2010年田村正和さんなど
時代劇ドラマとして何度も放送されています。
私自身は、ゆかりの土地としては、
10年ほど前に宮城県岩沼のホテル原田に何度か泊まったことあります。
伊達騒動を知らない人のために少し解説を・・・
簡単に言えば、伊達藩の派閥争いで・・・現藩政反対派が幕府に訴え、審議中に刃傷沙汰・・・
当事者双方の死亡という結果になりました。
なぜ刃傷沙汰になったのか・・・
レッツパーリィーしちゃったのか・・・
真相は不明のまま。
一説には、徳川幕府が62万石を持つ伊達家を縮小させたかったから
お家騒動を仕組んだが、双方死亡する事により62万石を守った。
などささやかれています。
(伊達藩は前田100万石、島津72万石に次いだ3番目の大大名)
さて、その伊達騒動と浄住寺とどういう関係があるのでしょうか?
実は現在の方丈は伊達綱村が使っていた屋敷を移築したものです。
伊達綱村は伊達政宗のひ孫で4代目仙台藩主。
数えの2歳で藩主になりました。
数えの2歳って言ってますが、現在で言えば、1歳4ヶ月あたり・・・
ヨチヨチと手放し歩きが出来た頃でしょうか・・・
そのため後見人が付きます。これが後に土佐に流される伊達宗勝。
伊達騒動の中、綱村の毒見役の家臣3人が毒見中に死亡します。
派閥争いに綱村が巻き込まれる形になりました。
伊達騒動が終わったあと綱村が使っていた屋敷をわざわざ京都まで持ってきました。
おそらく太平洋・淀川・桂川を使って浄住寺まで運んだのでしょう。
その綱村が座っていた場所が現在も残っています。
上げの間の壁には武者隠しまでも・・・・
あとは実際に浄住寺に来て伊達騒動を肌で感じてみてください。
各回20名限定ですので予約はお早めに・・・
限定拝観については↓
http://ameblo.jp/central514/entry-12073231733.html