同時に、自分の表現手段(職)についても悩んでいる
自分はつくづく後ろ向きな人間だと思う
音楽をやりたい。でも、果てしなく続くこの道を歩んでいくことに踏み切れない
溜まりに溜まったものを音楽や芸術で昇華することができたら、、、
直前まで迷っていて結局行く事にしたsukekiyoのライブ。
この前のダーキャ一緒に行った子と二人で。チケットはmixiにありました。
イーストの坂降りたら目の前にあった!めちゃ近。
自分のiphoneカバーの原画が見れてよかったです(^ω^)
(これ↓)
ヴィレバンに売ってるやつね。
あとは著名な作家がたくさん....恋月姫さん、清水真理さん、金子国義さん、etc
結構小さかったのですぐ見終わってしまい、出てから近くのカフエエでお茶。
ケーキと紅茶を嗜みながら友達と現代のヴィジュアル系について熱く議論していた.....笑
今は「カリスマ」的存在がいなくて、若手バンドも中堅バンドも既出のカリスマを支持しているから、新世代の率先者が現れなくて、流れが停滞している。
とか
CDを売るという行為があまり意味を為さなくなっていて、今求められているのはそれよりもエンターテイメント性だったりバンドとの距離感である。
とか色々考えてじゃあうちらは何をすればいいのかという話なんだけど、そこがものすごく難しい問題で。。。。
何か巻き起こしたいという意欲とかはあるんだけど具体的に何をどう頑張ればヴィジュアル系業界に元気が出るのか分からない。。。
でも、昨日sukekiyo観て思ったのは、ライブよりも現代アートという感覚を持った方が良いということ。
今のsukekiyoはまだ”ライブ”と”表現の場”の境目を彷徨っていて、とっても半端!
京都劇場で公演したり、開演の合図としてブザーが鳴ったりとただの”ライブ”ではないことを告げる働きはあるのに関わらず、いざ始まってみるとお客さんが前に詰め寄ってもみくちゃになっていたり、それを煽るように京さんが客とのコミュニケーションを図っていたりしていた。
sukekiyoの方針としては、京さんの表現の場であって「観せる」「聴かせる」ということにフォーカスしているものだと思っていた。けれど実際は「楽しむ」ということも視野に入れていて、なんだか中途半端な印象を受けた。
なんというか.....自分の我が侭な意見を言うとしたら、まず、sukekiyoに客はいらない。目障り。
京都の竹やぶの中で演奏して、夜の闇の中にカラフルな照明を当てて、獅子脅しとか使って本当の水の音をマイクで拾って演奏に取り込んで.....とかいう一部始終をカメラで撮っておけばいいと思うよ。(^ω^)そしてそれを映畫館で上映してお客さんはお金を払ってそれを観て、最後にメンバー出てきてトークショーみたいなのすればいいと思う。そういう、敢えて”生”じゃない、作り込んだ見せ方と、お客さん参加型の普通のライブと、両方やればいいと思う。
京さんはdirとの住み分けをもっとちゃんとした方がいいと思う。
なーんか、もっと色々よくなるところはあると思うんだけどねぇ....
まぁ、でも、音楽自体は天下一品というか、本当に素晴らしかった。どこか違う世界に引き込まれそうになった。ステージの後ろに飾ってある掛け軸風の絵画とかもっとよく見たかったなぁ。照明も綺麗だったし。
音に感動して、何度も涙が出そうになった。
今度は京都劇場で観たい。またやってくれないかな。。。





