(あらかじめ言っておきますが、別に男女差別をするつもりで書いているので
はありません。悪しからず。)
西洋人(例えばイギリス人、イタリア人、フランス人)にはもともと文化とし
て、社交界やパーティーに夫婦同伴で出席する風習があったと思います。
その上で女性は夫の恥にならないよう、知識や礼儀作法に対して敏感であっただ
ろうし、男性もまた妻よりも「尊大」であるように自身を高めようとしていたと
思います。
ですから男女同権になった現在、女性は男性と対等な姿勢を取ることができる
し、男性もまた女性に負けないように努力をします。
現代の潮流に合わせる、「下地の文化」がそこにはあったのだと思います。
それに対して、日本人には「女性は男性から一歩引いてついていく」文化があった
と思います。
男性は女性に対して無条件で優位にあるだけでなく、その溝・差・壁に対して刺激を
与える機会がない文化だったと思います。
そのため男女同権になった現在、女性は溝・差・壁を「克服する」ということへの意
識が希薄で、男性もまた女性に負けないようにという努力が生まれにくい。そういう
状況ではないでしょうか?
「日本の男性はだらしない」「日本の女性は無知だ」などといった不平不満が今もな
おつぶやかれるのは、「下地の文化」と男女同権のあいだに未だ隔絶があるからなの
ではないだろうか?
男性が、女性が、どちらかが悪いのではなく、ひとりひとりがこの隔絶を精神的に克
服しなくては、日本の性に対する問題・男女差別の問題の解決はまだまだ訪れないの
ではないのかと思う。
何事も「与えられる」のではなく「獲得する」ことでしか、問題を解決する能力を手
にすることはできないのだろう。
はありません。悪しからず。)
西洋人(例えばイギリス人、イタリア人、フランス人)にはもともと文化とし
て、社交界やパーティーに夫婦同伴で出席する風習があったと思います。
その上で女性は夫の恥にならないよう、知識や礼儀作法に対して敏感であっただ
ろうし、男性もまた妻よりも「尊大」であるように自身を高めようとしていたと
思います。
ですから男女同権になった現在、女性は男性と対等な姿勢を取ることができる
し、男性もまた女性に負けないように努力をします。
現代の潮流に合わせる、「下地の文化」がそこにはあったのだと思います。
それに対して、日本人には「女性は男性から一歩引いてついていく」文化があった
と思います。
男性は女性に対して無条件で優位にあるだけでなく、その溝・差・壁に対して刺激を
与える機会がない文化だったと思います。
そのため男女同権になった現在、女性は溝・差・壁を「克服する」ということへの意
識が希薄で、男性もまた女性に負けないようにという努力が生まれにくい。そういう
状況ではないでしょうか?
「日本の男性はだらしない」「日本の女性は無知だ」などといった不平不満が今もな
おつぶやかれるのは、「下地の文化」と男女同権のあいだに未だ隔絶があるからなの
ではないだろうか?
男性が、女性が、どちらかが悪いのではなく、ひとりひとりがこの隔絶を精神的に克
服しなくては、日本の性に対する問題・男女差別の問題の解決はまだまだ訪れないの
ではないのかと思う。
何事も「与えられる」のではなく「獲得する」ことでしか、問題を解決する能力を手
にすることはできないのだろう。