(あらかじめ言っておきますが、別に男女差別をするつもりで書いているので

 はありません。悪しからず。)


西洋人(例えばイギリス人、イタリア人、フランス人)にはもともと文化とし

て、社交界やパーティーに夫婦同伴で出席する風習があったと思います。

その上で女性は夫の恥にならないよう、知識や礼儀作法に対して敏感であっただ

ろうし、男性もまた妻よりも「尊大」であるように自身を高めようとしていたと

思います。

ですから男女同権になった現在、女性は男性と対等な姿勢を取ることができる

し、男性もまた女性に負けないように努力をします。

現代の潮流に合わせる、「下地の文化」がそこにはあったのだと思います。



それに対して、日本人には「女性は男性から一歩引いてついていく」文化があった

と思います。

男性は女性に対して無条件で優位にあるだけでなく、その溝・差・壁に対して刺激を

与える機会がない文化だったと思います。

そのため男女同権になった現在、女性は溝・差・壁を「克服する」ということへの意

識が希薄で、男性もまた女性に負けないようにという努力が生まれにくい。そういう

状況ではないでしょうか?



「日本の男性はだらしない」「日本の女性は無知だ」などといった不平不満が今もな

おつぶやかれるのは、「下地の文化」と男女同権のあいだに未だ隔絶があるからなの

ではないだろうか?

男性が、女性が、どちらかが悪いのではなく、ひとりひとりがこの隔絶を精神的に克

服しなくては、日本の性に対する問題・男女差別の問題の解決はまだまだ訪れないの

ではないのかと思う。



何事も「与えられる」のではなく「獲得する」ことでしか、問題を解決する能力を手

にすることはできないのだろう。
久々に『マグノリア』を見た。

高校から数えて何十回見たことか・・・

その度に新しい発見が得られる。


フランクがアールの業をそのまま受け継いでいるところとか、

アールの「愛することを止める方が死ぬよりつらい」って言葉の深さとか、

クローディアがジムを愛することにためらってしまうところとか、

ドニーの「愛と気分の悪さ、僕はそれを混同する」というセリフの悲痛さとか、


振り返っただけでも、今までに無い感動を抱きながら見ていたことが思い出される。


『マグノリア』にせよ、愛して止まない『深い河』(遠藤周作)や『カラマーゾフ

の兄弟』(ドストエフスキー)にせよ、群像劇は飽きがこない。


なぜ群像劇はこうも魅力的なのだろうか。


思うにそれは、人が常に成長し、環境を変え、経験を積み、他人との関わり合いを

増やすことで、自分が無限に拡大・深化し続ける事が要因だと思う。

自分が拡大・深化することで、何度でも登場人物ひとりひとりを自分に投影でき、

彼らに対して今までと違った共感と敵意を抱くようになり、

自分の姿勢を常に更新できるからであろう。

そして自分の鏡である複数の人間たちのやりとりが、社会性を持ち、「自分を含めた

社会」ではなく「自分の分身だけで構成された社会」という「現実にはありえないけ

れども、極めて『自分が体験している』社会そのもの」を感じさせてくれるからだろ

う。


今のところ『マグノリア』を越える映画に未だ出会っていない。

それはこの映画が傑作だからか、それとも新しい感動を僕が見つけられないからだろ

うか。

わからないけれども、どんなにおもしろい映画があってもきっと『マグノリア』に還

らないことはないだろう。

僕の人生におけるこの映画と出会いが、幾つもの道を結び、大きな交差点になること

を願う。


それは止まらない

あなたが賢くなるまでは

それは止まらない

あなたが賢くなるまでは

それは止まらない

いっそ諦めちゃえば



頭が眠ろうとしていても、この曲の歌詞は心に響く。
私の心の師匠の言葉。


個性とは、愛すること


臭いでしょうか?

私にはとても心に響く言葉です。


日々、コンプレックスや嫉妬やらで悩んでしまいますが、

なんだかんだで今の自分が、「自分」です。


多くの人に支えられてきました。

多くのことを学んできました。

多くのものに関わってきました。


何一つ、特徴的なことはありません。

何一つ、他人に自慢できることはありません。

何一つ、人を惹き付けるものはありません。


でも、

こうして生きてきたんだから、

これが「自分」です。

愛することがすべてを受け容れること、赦すことなら、

自分に関わることすべてを受け容れること、赦すことになるのだから、

愛することは、「自分を含めたすべて」を愛することです。

それは自分にしかできません。


だから、「個性」なんです。


どうなりたいか、ということはすごく大事なんですが、

その前に愛することを学ぶべきなのではないだろうか。