人それぞれ趣味嗜好があって

日々の辛さを乗り越えるための
リラクゼーションなんだと思っているわけですが

世の中にはそれを否定することも多々ある。

興味のない人達にとっては
存在さえ迷惑ととられてしまい、排除する運動まで起こされてしまう場合もある。

そんなに他人が気になるのか?
別に嫌な事でも自分はしなきゃいいだけの事で済ませられないの?

だって 人の幸せを奪っても自分のハッピーには繋がらないんじゃないの?

他人を思い通りにするだけを楽しみと捉えるのって
イジメ
と変わらないよね。

理屈を述べたら
どちらにも権利や言い分はあるだろうけど、
交わる事はないだろうし
そもそもが趣味嗜好なんて他人に決められて辞めたりしたりする事でもないだろうし。

世の中は広くいろんな事やいろんな考え方があっていろんな人が住んでて
みんなそれぞれの生き方がある。

少し離れた場所なら
非常識さえ常識に代わることだってある。

いろんな事を認知した上で
するしないは個人の自由であるし
他人がソレをしようがしまいが
いちいち目くじらたててたらつまらないし
新しい何かを見つけることさえ躊躇する事になってしまう。

他人にクレームをつける前に
まず自分のしている事を振り返ってみたら
他人には理解されがたい事を自分もしているはずだと認識出来るはずだし

ここで初めて お互い様 という譲り合いが産まれると思う。


理解する事は
否定する事よりも
難解な事だから。

間違っても相手を尊重する事を忘れてしまってはいけない。
その気持ちがないと相手には自分の意思や意見は伝わらない。

あとは他人に誠実さが伝われば
少なからずは理解してやろうかという柔軟性が産まれるのではないかと
ふと思う。

右むけ右みたいな世論に押し流されてしまわないように
自分をしっかりと持って生きていきたい。
今日は公用的な理由で
街に出てきた。

一息つきにデパートの屋上へ上がった。

俺達が子供だった頃、デパートの屋上といえば
ちょっとした遊園地だったな。

遊具や軽食、昆虫やペット販売などもあって
楽しい一時を過ごせる場所だったのに。


危ないとか文句いっぱい言う人達のお蔭ですっかり何も無いとこになってしまってる。

子供や孫連れた老人の憩いの場でもあったはずの屋上…。


クレーマーが多い今の世の中、こうしてささやかな楽しみさえも消え失せてしまうことが嘆かわしい。

若者が集えば 煩いとか邪魔扱いして排除するから
街に若者が遊びにも来なくなってしまってる。

俺達がガキの頃なんて
暇さえあれば目的もなく街に繰り出して
楽しみを探し廻ってたなあ。

自分こそ正義と平和などと勘違いしてる有識者という人が
どんどんあるべきものを消して
自分の思いだけを発達させていく現代に
夢や希望、安堵さえ奪われてしまうことのどこが発展だと考えられるのだろう。


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