まだ生きてしまっているので書きます。

私なりに、このつまらない人生を面白くしようとしているが、不確かな不安や無力感に襲われ積み上げてきたものがどうにでもよくなってしまう。心と体がいつもチグハグしている。


大学生になってから、辞めるまで経緯を書きます。

大学は5カ所くらい受けて、受かったのはfランク大学の1つだけだった。受験して入ったのだから、平成最後の笑い話になった。

当時は受験生なのに勉強をしていなかった。まぁいつものことなんだけど、高校1年の自分を振り返ると良い大学に入るために試行錯誤しながら勉強していたのに、どうして頑張れなかったのか?と思う。

理由というか言い訳だけど、自分の入りたい大学の学部は物理学や天文学なんかに入りたかった。素粒子物理学や天体物理学なんかよく知らないけど、宇宙について学べると思って中学生の頃に入らたいと思った。

実際入ったのは経済学部でした。この学部を選んだのは兄が同じ学部だから、たたそれだけ。大学生時代はこの学部がつまらなくて、見下していたが少し学んだら数学と関係していて、それもかなり面白そうだったので、今では入ってよかったと思っている。

じゃあどうして、経済学部に入ったのかというと、高校2年の終わりの頃に進路を決める話があった。大学に進学するのは決めていたが、どこの大学のなんの学部までかは誰にも言っていなかった。自分てきには、県内の国立大学に通いたかった。そこは理学部があってその中に物理学化があったし、素粒子物理学についても大学のパンフレットに書いてあった。一つ問題として、自分のレベルでは入れないことだけ。やってみないと受かるかわからないが、自分勉強をしないで逃げた。言い訳は親と大学の話になると、専門に入って介護師になれだとか、薬学部に入って薬剤師になれだとかだった。自分は全く興味がないものばかり勧められた。自分が科学系の大学に行きたいとかなり大雑把に言うと、何の役に立つんだ?と言われた。この時点で自分は親は金に直接繋がる大学以外には行かせたくないのだとわかった。

なんかこのとき、親から結局理解されてない。受け入れられてないと子供の時に感じた思いがまた蘇った。自分の意見は通らないのだとそう感じた。この結果、勉強とか人生とかどうでもよくなった。大袈裟だと思うかもしれないが、自分はいつも何かに執着というか依存して生きている。中学生まではゲームに、高校生からは物理と天文に執着していた。ゲームは話す友達がいて理解者がいるからよかったが、物理や天文になると側に理解者はいなかった。あんなに勉強しろといった親でさえ、勉強の範囲内なのに理解してなかった。なんか孤独だった。だから大学に行って共通の話題に興味がある人と会えるとワクワクしていたが、それは叶いそうにないとわかった。この瞬間に全てどうでもいいと思った。親に理解されないから、理解者を求めて勉強したのに、それすらも親から否定された。なんか本当の自分も否定された気分だった。自分のことなんか何にも知らないクセに理解してくれないクセに、親の期待を押しつけてくる。なんために生きているかわらない。味方がいないから、味方を求めて行動しているのに、それの何が悪いのか。

結局、兄が行った経済学部に公認会計士や税理士の資格を取るという口実で入った。最初はやる気があったが、夏休みに入ってからゲームばかりした。そんなか、親が夏休みなんだからバイトしろと言ってきた。自分はこれ以上、親に命令されるのが嫌だった。でもバイトしないと大学の学費払わないと言われたから、嫌々バイトを始めた。バイト自体も勿論嫌だったが、なんかこの時から人生の歯車が狂ったのは親が原因なんじゃないかと考え始めた。だから夏休み明けでもバイトは続けたが、大学は行かなくなった。朝起きれなかったのもあるが、親に言われたことしかできず、自分の意見が通らず、やりたいことができないのが馬鹿馬鹿しくなった。自己中だけど、兄や妹はやりたいことやってるのに、なぜ自分できないのか腑が煮えくり帰っていた。大学に行ってないことが原因で親と喧嘩し、何にも思いどおりにならないので大学をやめた。人生をやめた。夢や希望や目標なんかも全部すてた。体が鉛のように重くなった。生きる目的がないのに、毎日生きないといけない人生があまり辛かった。楽に死ねる方法があるならとこのときから、自殺未遂を繰り返している。でも自分の弱さから死ねずにずっと現実味のない歪んだこの世界を生きている。