未空さん、御誕生日おめでとうございます。
普段から「神が本当に居るのなら、尾崎未空さんは神だろう」
と思う事の多い自分としては、ここ1年程は
未空さんが弾かれたペトルーシュカについて考える事が多かった。
というのも、音楽には『神を感じる』場合と『人を感じる』
場合があると以前から思っていて
自分の好み、特にクラシック音楽については
『神を感じる演奏』に魅かれる。
勿論、未空さんの演奏では神が登場する事が多く
対して、ペトルーシュカは人を感じ易い軽音楽の
キャッチーな部分を集めてストラビンスキーが纏めた
曲なので
『神の未空さん』が『人のペトルーシュカ』を弾かれると
どんな感じになるのかと興味を持つのは必然となる。
例えば、ブルックナーは神を感じ易い曲を多く創ったが
シンフォニー5番では指揮によってテンポの速い演奏は
『コミカルな運動会』のBGMみたいになり聴いてられない。
しかし、テンポを落としてキッチリ演奏されると
堂々たる神様が登場する。
シンフォニーの場合は高度なテクニックは存在しないので
テンポの変化や全体のバランスだけでも神は登場するが
高度なテクニックを必要としながら、軽音楽風味という
アンバランスなペトルーシュカに神を登場させる可能性
を考えると、やはり、未空さんの様なリストを完璧に弾く
レベルの方による演奏で検証するしかない。
結論としては、ペトルーシュカは未空さんの領域には
決して至る事の出来ない曲なのだと知る事となった。
可愛らしく聴き易い曲ではあるが、ロシア系は
神の宿らない曲しか創れないのだとも思えた。
やはり、未空さんの魅力を最大限に引き出す事が
出来るのはリストのみなのだろう。
今回、演奏会が開催された京都コンサートホールは
京都市の北の方にあり、個人的には土地勘みたいな
ものは余り無かったが
家からは丁度、地下鉄で端から端といった感じの場所
だったので意外に直ぐに着くのかなと思っていた。が、
演奏会の数日前にホールの直ぐ横にバイク置き場が
ある事に気付き、これならスクーターでサッと行けば
更に簡単かなと思い、開館の少し前に到着出来る様にと
時間に余裕を持たせて行く事に。
京都市は恐らく日本で一番車が不便となる街で
(観光地だらけ、碁盤の目で信号だらけで渋滞だらけ
少し狭い道は殆どが一方通行で迷路状態)
その点、スクーターは逆に凄く便利となり
今回も思ったより早くホールに到着した。
開館まで15分程あったので近くを流れる賀茂川
(少し下流へ行くと鴨川と漢字が変わる)
まで歩いて行ってみる事に。

桜はまだ咲かず

カモ川だからか確かにカモが多く居た。
その通り道の南側(ホールの隣り)にある植物園へは
僕が幼稚園の頃に2回は行った筈で、その内の1回で
不思議な経験をした事を憶えている。
その日は、お婆ちゃん、兄、自分と3人でその植物園へ
行ったところ、自分と一番仲の良かった親戚の
〇〇ちゃんが知らない内に一緒に居て
その人の少し特徴的な顔というか、目が大きいので
「もしかして〇〇ちゃんは宇宙人なのだろうか」
と疑いながら園内をウロウロしていた。
確かその日の半年ほど前に、〇〇ちゃんの家へ行き
自分は子供なのでその家が何処に在るのかは分からなかったが
何故か〇〇ちゃん(小学生)は当時の全国のチビッコ達を
恐怖のどん底に陥れた『怖い本』を大量に持っていて
それからは、少し怪しい目で〇〇ちゃんを思っていた。
そんなこんなで『家に幽霊・妖怪・UFO等の怖い本だらけ』
『遠くまで行ったのに突然現れ皆に溶け込む』ときて
幼稚園児の僕の頭の中では
「〇〇ちゃんは宇宙からやって来た少年だったのか」
と思ってしまうのは仕方のない事だろう。
そして、その植物園の帰りにお婆ちゃん、兄、自分と
3人で当時走っていた路面電車に乗ろうとすると
〇〇ちゃんは突然一人で帰り道の逆方向へと走って行った。
てっきり4人で一緒にお婆ちゃんの家へ帰ると思っていたので
増々怪しく思え
「道の向こうの方にUFOを停めているのかな」
自分とは仲の良い人なのでなんなら今度自分もUFOに
乗せて貰えるかも知れないと少し期待感もありながら
「なんで〇〇ちゃんは向こうへ走って行ったの?」
と、恐々お婆ちゃんに聞くと
「〇〇ちゃんの家は直ぐそこにあるからね」
・・・単に、植物園の近所に〇〇ちゃんの家があっただけで
自分だけが知らなかったというガッカリ感を味わったのだった。
更にその北にある京都の幽霊の話といえばこの池ともいえる
『深泥池(みどろがいけ)』では、これまた子供の頃に
何度か友達と自転車で釣りに行った事があり
結局一匹も釣れなかったが、特に怖くもなく
その池に繁る浮草等に針を引っ掛けたりもしていた。
それが知らない内にその池は天然記念物になった様で
今では釣り禁止、散歩出来る周囲の道も立ち入り禁止となり
正直「あんな池にそんな価値あるかなぁ?」
と個人的には思って居るが、恐らく池の近所に住む人達も
散歩コースを立ち入り禁止にされてガッカリしているだろう。
そんな事を歩きながら思っていると無事にホールへと戻り
演奏を聴く事に。
未空さんのトークで「京都はラーメンが美味しいと聞き」
と言われていたが、実は京都人としてはまったく知らない
のだった。
京都は大学が多く全国から若い人が集まるので
そこを狙ったラーメン屋が幾つかあるのだろうが
個人的にはまったく美味しいとは思っていない。
天下一品には2回行った事があり、2回とも特に美味しいとは
思えず、おまけにお腹も壊してしまった。
未空さんが「行列が出来ていて行かなかった」と言われていた
第一旭も実は1度だけ行った事があり、京都駅の近くの
確か本店といわれるお店だったが、恐らくスープの水分が
蒸発しまくり凄く変に濃い味になっていて、心の中で
「これにコップの水を入れると丁度良い感じになるだろうが
それでも特別に美味しいとは思えない気がする」
と思いながらも、そのお店のお父さんが凄く愛想が良く
常にニコニコしていて、こっちを見ながら
「美味しいでしょ~^^」
と言いたげな雰囲気を醸し出していたので
その目前でコップの水をスープに注ぎ込むというのも
出来ずに正直『不味い』と思いながら食べたのだった。
京都でラーメン屋に行ったのはこの3回のみな気がする。
しかも、3回とも良くなかった。
そういえば、天下一品は最初の時は父と兄も居て
自分以上に「不味い」感を出していた。
といった感じで、お店のラーメンに良いイメージは無い。
そんな自分がこれまでで最もダントツで美味しいと
思ったラーメンがあり、知っている人なら全員納得
されると思うが
『ハウスの本中華』はとんでもなく美味しかった。
インスタントラーメンなのに、どのラーメンよりも
遥かに美味しいと断言出来る程のもので
なぜ消えたのかというと、恐らく今では使えない様な
怪しい調味料を調合していたのではないかと
ついつい思ってしまう程に美味しかった。
あのラーメンは一体なんだったのか。
日本七不思議の1つに数えても違和感が無いほどの
謎だと食べた事のある人なら全員思っている筈。
そして、演奏が全て終わりず~っと長い廊下というか
サザエの貝の中の様ならせん状の円を何周か歩きながら
ふと、ポケットに手を入れると、なんと
『スクーターのカギが無い』
賀茂川でカメラを取り出して写真を撮ったので
そこで落としたのなら、また歩いて行くのはツライなと
思ったりしてバイク置き場に到着すると・・・

なんと、カギをスクーターに付けっ放しで
自分はアチコチへ行きウロウロしていたのだった。
帰りに例の幽霊が出るとされる『深泥池』を久しぶりに
見ようかなと思っていたが、なんとなく危険を察知し
池へは行かずに帰路に就いた。
実は今回の演奏会の1週間ほど前までは
演奏会に行こうという気持ちが低下していた。
理由は単純で、自分が勝手に
「未空さんの超絶5番が聴けるかも知れない」
と思っていたところ、未空さんの誕生日の2日程前に
今回、京都で演奏される曲目を知り
その時はショパンだらけに見え(バラード4番が2回とか)
一瞬誤植なのかなと思ったものの、今年は確か
ショパンコンクールがあるのかと気付き
なるほど、と一応は納得した。
でも、未空さんのリスト、特に難しいとされる曲となると
『人類一の演奏』をされる可能性があり
とにかく自分の期待は非常に高くなる。
(勿論、多くの方にもそういった感覚になって貰いたい)
これまでには、未空さん演奏によるメフィストワルツ1番は
明らかに人類一の演奏をされ、その場で聴く事が出来た
自分の中では『大切な宝物』となっている。
しかも、去年の9月頃は何故かその超絶5番の聴き比べを
自分はしていたので、大きな喜びと共に驚いたという事と
こちらも偶然、1月の終わり頃に未空さんの妹弟子の方
でもある、古海さんによるロ短調ソナタの録音を聴き
予想を遥かに超えた素晴らしい内容となっていて
聴き終えた後の数時間は、感動で鳥肌が立ったままで
それこそ、ファウストでの有名な瞬間
「時間よ止まれ! そなたは美しい!!」
という感覚を予感したのだった。
(この意味は、ゲーテのものでは『そなた』とは
その瞬間の『時間』の事で
例えば自分の場合なら、未空さんの演奏をその場で
聴いていると
「あぁ、このまま時間が止まってほしい
この大切な瞬間が一番幸せだ」
と思い、その瞬間『時間』を美しく感じる。
そしてロ短調ソナタによる『そなた』とは、ズバリ
美しく完璧に弾かれた『ロ短調そなた(ソナタ)』を指す)
勿論、このソナタの中でのそう感じる瞬間とは
終盤のメリーゴーランドの様な走馬灯の様な
誰もがミスをする恐ろしい場面を見事に通過された時に
「時間よ止まれ ソナタは美しい」
という感情が湧き、そして、ファウストと同じく
その瞬間に終わってしまう。
・・・勿論、ゲーテのファウストではその後に
グレートヒェンに救われ天国へと導かれる。
しかし、自分のロ短調ソナタでは、その瞬間が訪れた場合
恐らく、もうピアノを聴こうという気持ちが消えて無くなる
のだと思われる。
完璧な最高の演奏をその場で聴いてしまうと
その瞬間は大喜びするものの、次の日には燃え尽き症候群的に
パタンと興味が一切消えてしまうだろう。
これまでも他の事でその感覚が数回起こった事があり
そうなるとピアノ音楽とはお別れとなるのかも知れない。
まるで、ローエングリンの終わりの様に。
ずっと、その恐怖と期待は人類最高のピアニストである
未空さんによるロ短調ソナタのみに存在すると思っていて
今回はその場ではなく、録音ではあるものの妹弟子の方による
その瞬間を予言された様な、ほぼ完璧なロ短調ソナタを聴き
「やはり、未空さんなら演奏会のその場で
最高のロ短調ソナタを弾かれるのだろう」
と確信し、古海さんの演奏でありながら未空さんの凄さを
間接的に強く改めて感じる事となった。
そんな感覚の中で、未空さんの完璧な超絶5番を聴いたなら
『さすらい人幻想曲』『大演奏会用独奏曲』
『スケルツォとマーチ』
そして人類が創った最も偉大な曲『ロ短調ソナタ』へと
まるで、完璧なロ短調ソナタへと続く道を着実に歩む
案内役みたいなものに感じただろう。(勝手に)
・・・そこで、突然『超絶5番』(案内役)が消え
どうも、自分が思っていたより更に強く期待していた様で
余り他の曲を聴こうという気持ちには
なかなかなれない程に落ち込んでしまっていた。
でも、一週間前ともなると少しずつ
「御元気な未空さんを見る事が第一」
「ショパンの曲であっても未空さんなら神を感じる様な
演奏をされるのかも知れない」
「折角、多くの方の尊い尽力により、未空さんが近くまで
来られるというのに自分は何を思っているのか」
等と考えていると、少しずつ
「やはり、行こう」
と思う様になったのだった。
(ちなみに、超絶8番も重要な曲で、恐らくこの2稿以降が
無ければブルックナーのシンフォニー9番は存在しなかった。
1楽章の第1主題と第2主題に重要な役割として登場する)
そして、今回の演奏では以前から自分の中にある迷い
についても答えを知る可能性がある事に気付いた。
実は『未空さんのタッチ』について
もっと弱く弾く部分を増やした方が良いのではないかと
思う時と、そうとも思わない時とがあって
どちらが良いのか確信出来ない状態でずっと居る。
その違いを何故感じるのかというと
やはり、自分が演奏を聴くイスの位置と強く関係していて
後ろの方に居れば、高い音は美しく飛んで来る様な感じに
聴こえ易く、近くに座ればステージが高い場合では
高い音が頭の上を飛び去る様な感じに聴こえたりする。
もっと細かく色々と思う事はあるが、席によってバラバラに
聴こえるので、音の強弱については特に聴く側としては
判断が難しい。
例えば、2回前のショパンコンクールだったと思うが
韓国の方が優勝された時に、審査員の大方は高い得点を付け
そんな中、一人だけ0点を付けた人が居て問題になっていたと
記憶しているが、それを聞いて自分は
その0点の人は、優勝者の演奏が全体的に弱過ぎて
単によく聴こえなかったとか、たまたまそういった
優しい演奏が好きではない人だったのではないかと思った。
優勝者御本人は
「当時のピアノの事を考えて全体的に弱く弾いた」
と、確か言われていて、現場で聴いた人の感想でも
ピアノの音が小さかったとブログに書かれていたりもした。
でも、大方の人はその優しい小さな音を良く思えたからこそ
優勝されたのだろうし、こういった聴く人によったり
席によったりで違って聴こえる音について
今回は小林さんという優しい音をメインとされるイメージの
美しい演奏をされる方の音とで比較出来るのではないかという
興味も湧いたのだった。
小林さんは、淡い音のみによるグラデーションを感じる事が
多くある感じがして繊細な演奏をされていた気がしたものの
目を閉じて聴くと御二人とも同じ感じのタッチに聴こえ
結局、よくは解らなかった。
以前、横浜のアリアというサロンで弾かれた時の配信での
未空さんの音はこの上なく美しく、未空さん御本人には
こんなにも美しく聴こえているんだなと思ったりもした。
今でも、弱く弾く部分を増やした方が良いか
そうでもないのか、そこの明確な答えが出ないで居る。
小さな音
↓
少し聴き取り辛く感じるので聴こうとする
↓
自分が聴きたいという事は良い演奏だと思う
(錯覚も含めてこういった心理が発生し易いのでは?
やり過ぎると「聴こえない!」と思う人も出てくる)
大きな音
↓
よく聴こえる
↓
聴こうとしないという事は良い演奏では無いのではないか?
(こちらも同じく錯覚も含めて)
恐らく、こういった心理が聴く側の多くの人には
存在するのではないだろうか。
(今回は弦全体の揺れ幅によるピッチの変化を考えない。
強いタッチでは揺れ幅を大きくなる為に
ピッチが微妙に上がったり不安定となる。
対して弱いタッチでは揺れ幅が小さく
ピッチが安定するので純粋な音だと思い易い)
そして、基本的に演奏中は静かな状態となるので
かなり弱いタッチでも意外に客席にはよく聴こえていて
やはり、弱音を増やした方が聴衆が引き込まれる様に
思える(錯覚も含め)演奏になるのではないだろうか。
・・・この次は演奏以外で思った事等を。
2025年3月1日
未空さんと小林さんによる素晴らしい演奏会
京都での開催について、関わって下さった
スタッフの皆様に深く深く感謝致します。
本当に、ありがとう御座いました。
以前にも書きましたが、京都は宿が取り難く
かなり前から企画されたり、出演者の方にも
無理をお願いする様な気がしていて
そんな中での心から素晴らしく思える演奏会。
帰りも周りで「良かった」と言われる声が
多く聞こえました。
演奏は勿論、未空さんの楽しいトーク
小林さんの真面目ですみません的にご本人も
言われていた通りの優しいトークと
観客の方の反応も良く、本当に充実した時間を
多くの方で共有出来て幸せでした。
もう、皆さまに感謝感謝感謝としか言い様がありません。
誕生日おめでとうございます。
最近『人類最高のピアニストは尾崎未空さん』
だと、自分が特に強く思う理由が分かってきた。
未空さんの演奏の特徴はなんといっても
『正確無比なテクニックで超難曲を美しく弾かれる』
という所にある。
自分はその状態が人類にとって最も難しく素晴らしい事
だと知っているので、素直に未空さんの偉大さに敬服出来る。
未空さんが到達されている音楽は理想的であり
対して、実は一般的に好かれる音楽は俗世的とでもいうのか
理想とは遥か遠く掛け離れていて泥臭いものだったりする。
『偉大な理想』と『親しみ易い俗世』とのギャップにより
未空さんは自分(僕)が思う程には受け入れられていないのだと
明確に気付いた。
(自分が思う程・・・とは、未空さんの能力なら余裕を以て
全コンクールで優勝し、審査員達が未空さんの演奏に感服し
寧ろ「このコンクールの優勝者が未空さんなら信用出来る」
と思われる状態の事。勿論、自分は既に理解出来ているので
コンクール自体には既に関心が低い)
この理想とは『神に到達する演奏』といったイメージで
やはり西洋音楽という事と、日本で生まれ育つと『神』といえば
以前から言う様にカトリック的な神様を想像してしまう。
フランダースの犬や、その他、美しいステンドグラスの教会の
何処かに居る神様のイメージを自然に持つ。
(教会自体には神様は居ないのかも知れないが
無宗教の自分としてはなんとなくその様なイメージ)
音楽でいえばリストでありブルックナーだといえば
解り易いのかも知れない。
リスト、ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり
創り出す音楽にも常に神様が存在している様な感覚を覚える。
泥臭いマーラーですら極めて少しのみ神を感じるのは
ユダヤ教からカトリックへと改宗したからなのだろう。
そして、中でもリストの本当の音楽を再現するには
リスト本人が恐らくそうであった様に、人類の頂点だと
思える非常に高いレベルの能力を持つピアニストでしか
叶える事が出来ない。
その神に到達する演奏をされる人こそが尾崎未空さんであり
逆に神の域に到達出来ぬままに終わった多くの作曲家達の
泥臭い曲には余り合わない。
20世紀後半ではその泥臭さを表現させ様とする者が多く
存在していたが、既に時代は変わって現在では少しずつ
未空さん側へと傾きつつある。
しかし、その神を表現する作曲家がリストしか居ないというのは
不幸というか、ピアニストにとっては最大の喜びなのか
勿論、自分は未空さんにとって最大の喜びであり
その理想のみで良いのではないかとすら思っている。
『未空さんは神を表現出来る稀有なピアニストである』
(何度か読み返してみて、ちょっと大袈裟かなとも)
