瞑想とは、マインドを脇に置くことを意味する。
それがもはや事実を干渉しないように、
あなたがものごとをあるがままに見ることができるように。
いったいなぜ、マインドは干渉するのだろう?....
なぜなら、マインドは社会によって生み出されたからだ。
それは社会の代理人だ....それはあなたに奉仕してはいない。
覚えておきなさい!
それはあなたのマインドだが、
あなたに仕えてはいない。
それは社会によって条件づけられて来た。
社会が、たくさんのことを植えつけて来た。
それはあなたのマインドだが、
もはやあなたの召使いとして機能していない。
それは社会の召使いとして機能している。
もしあなたがキリスト教徒なら、
あなたのマインドはキリスト教会の代理人として機能している。
もしあなたがヒンズー教徒なら、マインドはヒンズー教徒だし、
もしあなたが仏教徒なら、マインドは仏教徒だ。
そして実在は、キリスト教徒でもヒンズー教徒でも仏教徒でもない....
実在は、ただあるがままだ。
だからあなたは、これらのマインドを脇に置かなければいけない....
共産主義のマインド、ファシストのマインド、
カトリックのマインド、プロテスタントのマインド......。
地球上には3,000の宗教がある....大規模な宗教、小規模な宗教、
さらに小さな宗派、そのまた宗派の中の宗派....全部で3,000だ。
だから3,000のマインド、マインドの型が存在する....
そして、事実はひとつ、神はひとつ、真実はひとつだ!
瞑想とは、マインドを脇に置いて見守るという意味だ。
第一のステップ....
自分自身を愛すること....は、あなたをとほうもなく助ける。
自分自身を愛することによって、
社会があなたの内側に植えつけて来た多くのことを、
あなたは破壊するだろう。
あなたは、社会とその条件付けから自由になるだろう。
そして第2のステップ....
見守る....とは、ただ見守ることだ。
見守る....とは、ただ見守ることだ。
ブッダは、あなたが何を見守るべきか、言ってはいない....
すべてだ!
歩いているときは、自分の歩行を見守りなさい。
食べているときは、自分が食べていることを見守りなさい。
シャワーを浴びているときは、水を、
あなたに降りかかる冷たい水を、水の感触を、
冷たさを、背骨を伝わる身震いを、見守りなさい....
すべてを見守りなさい、今日、明日、いつも。
そしてついに、眠りさえも見守ることができる瞬間が来る。
それが、見守ることにおける究極だ。
身体は眠りにつき、それでも観照人は目覚めていて、
身体が深く眠っているのを静かに観ている。
それが、究極の観照だ。
しかし今は、正反対が起こっている....
あなたの身体は目覚めているのに、あなたは眠っている。
次に、あなたは目覚めていて、
あなたの身体は眠っていることが、起こるだろう。
身体は休養を必要とするが、あなたの意識は眠りを必要としない。
あなたの意識は、意識であるままだ....
それは油断なく醒め、そうあることがまさにその本性だ。
OSHO: The Dhammapada: The Way of the Buddha, Vol. 5, #5
最後まで読んで頂き心からありがとうございます^^♪