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レフェリーもリングアナも選手同様大事

11月23日、えみりレフェリーの引退。



大阪が主戦場だった時代も何度か観てますが、当時は特に売店寄ったりすることもなく…
でも当時から「吉野さんにしろえみりさんにしろ大阪のレフェリーは興行を良く魅せようって気持ちが強いなぁ」と下から観てました。

ある日、
「(チケット)取置きの返事て早くしてあげた方がよくない?」
そんな内容のえみりさんの呟き。
初めてリプライしてみると
「自分の試合観て欲しいならそうするんやないかな」
的な返事が。

ある選手によくチケットをお願いする事が多かったのですが、とにかく遅い事が多くて…もちろん練習や試合、私用もあるってのは理解してますよ、それにしても。

この辺りから「選手やないけどこの方信じてみようかな」と思い始め、今年2月初めてイベントへ参加。決まりましたね。
ご自身もめっちゃプロレス好きやし、何しろ興行する側にこんなファン思いの方がおるんやと。

でもこの日に「(レフェリー)夏頃辞めよう思ってんねん、大事な興行あるから秋になるか」とも聞かされる。
そして2月末に正式に発表。

3月に応援してた選手が引退、でも縁も所縁もなかった熊本が繋いでくれた不思議な縁。
8ヶ月信じてみようって。

そんな矢先の4月、熊本で地震。
2月のイベントで「免許取れました!」って見せて頂いた時目に入った益城町、震度7が2度…

元選手より熊本でお世話になっているファンの方より真っ先にえみりさんの事が頭を過りました、「益城町やなかったか!?」
呟きで無事は確認出来たもののかける言葉は見つからず、地震の事をちょくちょくお話されますが、それは今も…。
どんだけ労いの言葉をかけても体験した方にしか分からん苦悩やと思う。

この時点で「前倒しされて辞めるんやろな」と思いましたが、オファーを頂いた分は参戦すると。

その後は試合、イベント、ちゃんす可能な限り駆け付けさせて頂きました。

1年弱、期間も短いし観た試合も少ないけどよくして下さった方、信じて良かった。
VKFのスタッフとして残られるので全く会えなくなる訳ではないみたいやけど、ひとまず区切り。

レフェリー生活お疲れ様でした、そしていつもありがとうございましたm(__)m





心太ときんぴら(^^)
3日、1厘の望み虚しく降格…
広島の新聞でも大きく掲載


初観戦の神戸


ホームにも駆けつけましたが



ボスコ体制初ホーム戦では試合前ベンチ前で全員の円陣


でも昨オフからこの結果もある程度予想は出来てました。

モチベーションの上がらない契約更改、移籍志願者には「君の選んだ道だから」と慰留の言葉は無し、当然の大量流出。
やりようによっては何人かは残ったはず!

今年残ってくれた10年戦士が「じゃあ代わりに誰を獲るんだ?」とフロントに問っても曖昧な返事。

リーグ戦中盤に緊急補強した酒井選手、扇原選手、ハデソン選手もフィットするにはあまりに時間がなくほぼ控え。
「去年からマズイとは思っていた」と昨年の退団時を語る闘莉王はボスコのやり方を知ってるだけに戦術的には何とかなったけど、半年のブランクがありフィジカル面が…

絶望的だった残留を最終戦まで希望を持たせてくれたボスコ。
でもミニキャンプ後サッカーを変えてしまった。
フォーメーションから、小川選手を右の中盤から右の前。右の中盤にはハデソン。
これで中盤の守備がボロボロに。右の前にいた矢野選手と小川選手が如何に前線から追っかけていたかことか。
累積警告でやむを得ず矢野選手を右のSBにするなら小川選手を上げず松田、和泉、野田選手をそのまま右の前に入れるべきだった。

攻撃面も前への推進力ということで繋いでサイドの永井選手を中心に崩していた形からやたらシモビッチ狙いのポストプレーへ。
シモビッチが封じ込められれば糞詰まりに。
結果最後の3戦はチームとしてPKによる2得点のみに。

J開幕の93年からのファン

結果にも悔しいけど、フロントと現場がバラバラでこのような結果を招いたことが最も悔しい!!

来季はJ2。簡単に戻れると甘く見てたら大間違い、厳しいカテゴリー。

覚悟して挑む!


来年も会場へ駆けつけます!
   
3日 京橋プロレス 大阪都島区民
13日 OZアカデミー 横浜文体
15日 ガッツワールド 新木場
23日 VKF 大阪港区民

10月30日に大阪行ってたんで中3日で大阪、湘南乃風のライブも新木場も蹴る!

第2週は中1日で関東遠征。

最後の1ヶ月やからいいのです!