18の時だったかなぁ。
17だったかも。
当時付き合ってた彼女に「友達が出るから」って連れられて、
今の建物ではない旧・夢希望に初めて入った。
「こんなド田舎のライブハウスなんかどーせライブハウスと呼べないハコで、身内が遊んでるだけだろ…」
調子乗ってたオレはそんな事思いながら行ったわけよw
でも帰る頃には180度考えは改めてさせられてたね。
「ここでシーンを絶対作ったろ」ってね。
それからすぐバンドを組んで、挨拶しに行って…
当時の建物は3階建てでさ、
1階ゲーセン、2階カラオケ、3階ライブハウス。
2階のカラオケの一室で店長・北村さんと話をして、少しその時やってたクラブイベント覗かせてもらって…
翌年からは1年間毎月企画やって…
こん時は大変だったな~。
バンドが集まらなかったり、お客さんが集まらなかったりで赤字になった事もよくあったし、
でもその頃だったな、知り合いの高校生にKくんを紹介してもらって出会ったのは。
Kくんに会ったくらいのタイミングで、オレは当時やってたバンドでレコード会社と契約して初めてCDを全国リリース出来て…
この辺りから少しずつ状況が変わり始めたんだったな、多分。
今でこそCLUTCHOもMISTY(?w)も安城からだけど、
当時はやっぱこんな安城てド田舎町からCDを、全国リリースしてツアー回ったりなんてそれだけで周りの見方が変わりだしてね。
まぁ特に高校生とかの若いバンドと一緒にやる事が多かったから余計にね。
で、旧・夢希望ん時はこんな感じかな?
あ、LAUGHIN' NOSEが来て、打上げ連れてってもらってチャーミーさんの隣に座らせてもらってお話出来たのは未だに強烈に刺激的で覚えてる。
色々あって夢希望が同じ敷地内に建て替えになって今の建物になって。
出来かけの時に何度も足を運びに行ったけどホントわくわくだった。
オレの街にこんなすげーライブハウスが出来るんだ!って。
旧建物にもたくさんの思い出があるけど、
やっぱりその後のが長いし、すげぇ事がたくさんあったのはRADIO CLUBになってからだから思い入れはやっぱ今の建物かな。
確かRADIO CLUBになって初めて組んだ企画が当時は“Katsuu presents”てやってた『JOYRIDE』だったかな。
その1回目が12月27日で、それ以降毎年最後は必ず12/27にやるよーになったんだったな。
まさかのその日に400人超える動員記録作っちゃってさ、
ま~あの日はすげぇ1日だった。
とにかく400人を超える若者がずーっとイベント中、どのバンドでも盛り上がってくれてさ、
オレのバンドの時もすごかったもん。
んでまた来てくれたお客さんの大半が高校生なもんだから、
ユメキの建物の周りに大量の自転車が置いてあってさwww
それ見て「なになに?」て入ってくるお客さんもいたくらいw
もちろんそのJOYRIDEにはKくんのやってたバンドも出てた。
その前後くらいじゃないかな?
Hiraちゃんと会ったのは。
Kくんのバンドが、Kくんバンドのメンバーの弟がいてその弟もバンドやってるって形でイベントに出してて。
その弟バンドのギタリストがHiraちゃんだった。
それ以降、年に大体3~4回やる『JOYRIDE』にはHiraちゃんも一緒だったと思う。
弟バンド解散してからも、Hiraちゃんは別バンド組んで一緒にやってたしね。
『JOYRIDE』は基本地元のオレの前バンドと、その仲間の人気高校生バンドがいつも大体レギュラーで出てて、
他に色んなゲストバンドに出てもらってたんだ。
その中には、わかる人には悶絶の重鎮メンバーで構成されたSLIME BALLや、
STRIPEEFFECTとか、オレが大好きだったバンドのメンバーが解散後に組んだ新バンドとかにも来てもらったりして、
今でもよくHiraちゃんとかと話すけど、よく高校生とか出てるイベントに来てくれてたよなってw
んで毎回打上げ騒いで、朝まで遊んでw
そりゃ、そんな中には色んな事件や事故w、
笑い話なんか死ぬほどある。
で、スタッフもホントみんなよくしてくれてさ。
前バンドの時には音響、照明ともうホントチームみたいになって、
よくステージリハしたりしてた。
もちろんそん時も朝までユメキに残って遊んでた。
そんなスタッフがあらゆるすごいライブに前バンドを押してくれて、
locofrank、ASPARAGUS、SHORT CIRCUIT、BEEF、LO-LITE、SAFARI…
前述のSLIME BALLやSTRIPEEFFECTも含め数え切れない凄いバンドと一緒にライブさせてもらったのもユメキ。
オレはいっつも、用事がなくてもユメキにいて、
用事があっても帰る前に遠回りでもユメキに寄ってから帰ってた。
ツアー出ればホームシックってよりユメキシックにかかるくらいw
本当に、ここで出会った仲間とシーンを作って、
ブームにもなって、それをオレらが維持できずブームのまま終わらせてしまって、
そんな栄枯衰退を見てきた。
後半に、MISTYとも出会ったんだったな。
「なんて下手くそなバンドだ!」て思ってたよw
一緒にステージリハして、色んな事オレなりに伝えたりした。
あ、他のバンドの事まで言い出すと終わんねーからやめとこうw
2008年にバンドを離れて3~4年の間に、
段々若いバンドもいなくなり、音楽の世界自体もカナリ変動の時期だったと思う。
カウクロ結成前に、たぶん結成1年くらい前じゃなかったかなぁ。
当時の仲間がコピーバンドの企画をするから出て欲しいって連絡あってさ、
やる人見つかったら出るよ~なんつってたらHiraちゃんから連絡あって、一緒にやろうってなって。
そこでHiraちゃんが連れてきたドラマーがKyoheiだったんだよね。
2~3回くらいスタジオ入って、ユメキのステージに久しぶりに立った。
気持ちよかったなぁ。
失うものも、なんなら得るものもなかったからw好き勝手やってさ!!
それから1年後。
KくんやHiraちゃんとはたまーに地元バンド仲間が集まろうってなった時に数ヶ月に1回くらいは会う事はあった程度で、
KyoheiとはTwitterとかでお互い近況知る感じで会ったりはしてなかったけど、
KyoheiはいつもTwitterでオレがバンドやるならドラム叩きますよ~って言ってくれてて。
オレもいつかまたバンドやるならKyoheiにドラムお願いしよーって思ってて、
まぁでも実際やるとなる所まではいくにいけないまま過ごしてた。
そんな時にHiraちゃんがバンドやろう、ドラムはKyoheiだー!っつって。
ま今回は結成秘話は省くけどなんやかんやでKくん入ってカウクロんなって。
やっぱりホームは自然とユメキでさ、
「安城をもう1回盛り上げて次は消えないシーンをちゃんと作ろう」てのが1番の至上命題になってて。
カウクロは3年目になるけどこの3年間、自分たちが上に上がっていく目標とはまた別に、
安城を盛り上げていくって常に考えてた。
もちろん、オレらが目立てば安城は盛り上がるはずだとも信じて。
そうね、
だから結局オレはあの日、あのカラオケ入り口入って左2個目の部屋で北村さんに挨拶した時から、
ユメキを、yumekibow RADIO CLUBて場所を拠点に、
安城にシーン作って盛り上げてたいって。
その想いが常に一緒にあるバンド活動してんだな。
12/30の、当時の仲間たちとやる『JOYRIDE』で最後のユメキステージになるけど、
ユメキはなくなるけど、
これからもその想いはずーっと変わらず持っていくよ。
12/30、カウクロ最高のライブでユメキ最後のステージに立ちます。
是非見届けに来てください。
つかこんなに拙い長文を読んでくれたキミならきっとJOYRIDEを楽しめる!w
最後まで読んでくれてありがとう。
伝えたいユメキへの愛は込めたけど色々ありすぎて何書いていいかわからないまま最後まできたw
とにかくオレにとってyumekibow RADIO CLUBはただのライブハウスじゃない。
仲間と過ごして色々学んだ学校のようであり、
家族のいる家でもあり…
残り少ない時間が刻一刻と最後の日に向かって進んでいくけど、
12/30 JOYRIDEは最高の準備で迎えたいと思ってます。
かつぅ