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アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

暫くぶりのブログになってしまいました。

 

2年の3学期は家族全員コロナにかかったり、学年閉鎖があったりで、あまり学校に行った感じがなくー。もう冬の間は毎日私が自転車で送って行っていたので、集団登校も最初から諦めていました。3年生になったら集団登校するという目標はあったので、もう寒い間はいいやと思って。

 

学校が終わる少し前に、頭を蹴られる、石を顔に投げられて眉間に当たるという事件がありました。最初の事件の時は、私はただのアクシデントを娘が大袈裟に言ってるだけだと思っていたので、適当に話を聞いていたら、その後に同じクラスの女の子がiPadで腹を殴られる事件があり、その後、石投石事件がありました。結果、全て同じ子がやったことで、障がいのあるお子さんでした。

 

こちらとしては、再発防止を願うだけなので、それはお願いしましたが、正直なところ人手不足のようです。たまたま目に当たらなかったからよかったけど。。。

 

そして無事に2年生は終わりました。娘は図工の成績がめちゃくちゃよかったです。それ以外はまあまあ。立体系のものを作るのがとても上手だと見ていて思います。

 

そして3年生。去年は3クラスあったけど、今年は2クラスになってしまった。あと3人いれば3クラスになったそうだけど、2クラスでひとクラス約40人。調べてみたら「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案」で、小学校1年のみ35人で、小2~6年は40人が定員のところ、順次35人にしていくそうで、R4年は3年生が35人クラスになるはずなのに、そうはならない不思議。3年生以外の学年は3クラスになってたので、もしかしたら部屋がないのかも。

 

そんなことで、新しいスタートを切った娘でした。