札幌に人が定住したのは明治2年または
1857年(安政4年)、五稜郭が建設着
工した頃と言われる
その札幌の開祖として名を残すのが札幌
初の定住者、[志村鐵一](しむらてつい
ち。信州出身。)と[吉田茂八](よしだも
はち。岩手県出身。)。
当時,原始林に覆われた未開の原野だった
札幌に比しアイヌとの公益で栄えていた小
樽(オタルナイ場所)は隆盛を極めその財
政に目を付けた幕府は(これには諸説色々
あります)オタルナイ場所を高島場所と、
現在の妙見川{旧オコバチ川}を堺にした
オタルナイ場所の2場所としたともいわれ
ている。
また、北前船による江戸時代の公益は海路
が主体だったため、小樽につなぐ札幌から
銭函へと続く道の開削が始まった。
そして、その道の延長の千歳方面につなぐ
とき、越えなくてはいけないのが札幌の平
野にまたがる豊平川。
そこで川に船を渡し、その船守と通行人の
管理を行うために定住者が必要となったた
めがその理由。
石狩において調査を進めていた調役所の荒
井金助(あらいきんすけ)が2名の人物
を派遣し、豊平川の両岸に住居を構えさせ
た。
この二人が、札幌の定住者の第一号という
訳だ。