ccd7さんのブログ-2011022412510000.jpg
最近、某氏のブログがきっかけで、雲 黒斎(うんこくさい)氏なる人物のブログを拝読する事と相成った。

魂は存在する、あの世はこの世と変わらず存在する…と書くと、どこにでもある話しだが、彼と守護霊との会話形式で進むトークがユニークで、漫才のような言葉のキャッチボールが小気味よい。

ブログを読んでいると、死ぬのが怖くなくなっていくから不思議だ。もちろん、積極的に早死にしようとは思わないが。

あの世では、テレパシーで意志疎通するので、瞬時に相手の考えも分かり、隠し事ができないそうだ。結果、良い人、悪い人で自然とコミュニティが形成されていく云々。

ここで真偽を云々しようとは、全く思わない。
騙されたと思い、一度は読んでみる価値はあると思う。
この年になると、身内や親戚でお亡くなりになる方が出てくるものです。
つい昨年末にも、親戚のおじさんが肺癌で亡くなりまして、私は亡くなる二週間ほど前に最後の挨拶を交わせました。

「おじさん!私の両親はじめ、私自身が大変お世話になりました。ありがとうございました。どうぞ、あの世でもお達しゃで。(握手)」と私。

一見、自然な挨拶を交わしているようですが、後日、母親から言われました。

「生前おじさんに対して、はっきりと挨拶できたのはお前だけだ。気の毒で親戚中で誰一人、お別れの挨拶が出来た人はいなかった。立派だった。皆、きちんと挨拶が出来ないまま逝ってしまったので、後悔していた。」と。

人が死ぬか生きるかの瀬戸際になると、いろんな事が頭をよぎり冷静に対処できなくなるのは、当たり前の事です。でも、今が生きて会える最後の時と思えばこそ、後悔はしたくないものです。
どうせ変えられない運命であれば、私は笑顔で送ってあげたいと考えました。

今回は、それが良かったようで、遺族の方からもお礼をいただきました。

こんな私の経験が、皆さんの参考になれば幸いです。

なぜ私は、そのような対応をしたか?答えは、簡単なんです。
漫画「花の慶次(戦国武将、前田慶次)」が、私は大好きで、彼の男としての立ち振舞いに憧れています。今回の事も、慶次が養父と死に別れるシーンを思い出し、参考にしました。

男は、結構単純なんですよ。
最近、相撲の八百長問題が話題だ。
相撲はもちろん、以前から複数の格闘技団体関係者と懇親を深めて来た経験から、この話題に対して意見を述べたい。

【共通認識を持つ】
媒体関係者と相撲協会は、八百長について定義し共通認識を持った上で、それを世間に明示する。これにより、協会、媒体、ファンの三者が八百長について共通認識を持つ事ができる。何が八百長なのか?ということだ。

【八百長とは】
取り組みの結果を、相撲協会関係者者が故意に操作し、取り組みの結果に応じて個人的に経済的な損得を得る事、または賭博行為に、故意に加担したと認められた場合。
但し、不特定多数のファン共通の利益と相撲の発展に有益と解釈される行為(いわゆる演出)については、含まれない。ざっくりと、私はそのように定義したい。

【問題の焦点】
賭博行為、勝ち星の貸し借り、海外や地方巡業などでしばし見られるコミカル相撲、力士本人しか分からない人情相撲などが、残念ながら全て同一として議論し報道され、世間が誘導されてしまった。これはキツイ。

この状況は、あるいみプロレスと酷似している。全ての試合(取り組み)が真剣勝負だと思い込んでいたファンが、演出がある事を知りプロレス(相撲)に失望し否定派になり、離れていく。
まずは、同一に議論されている内容を切り分け、問題の焦点を絞り、一つづつ良い悪いを定義する事からはじめるべきだ。

【庶民の娯楽】
相撲は、国技…。では、国技ってなんだ?そんな難しい議論をするまえに、相撲は庶民の娯楽という基本に立ち返って、私は考えたい。
最もらしいごたくを、一方的にテレビ画面でガなりたてる、コメンテーター達。相撲は全て真剣勝負であるべきなどと、ヒステリックに叫ぶ女性評論家。庶民の娯楽を、自身の主観と乏しい知識だけで、こうあるべきなどと決めつける態度には、呆れるばかりだ。

普段、あまり相撲を見ないような人に、偉そうな事を言われたくない。
大きなお世話だ。