私は、小さい頃から


母親に対して疑問を思っていた



なんで、子供の言うことを馬鹿にするんだろうって。



たとえば私は母から


私の好きなものを肯定してもらった記憶があまりない




漫画も、音楽も、服も、恋人も



多分、忘れてるだけかもしれないけど。




一つだけ覚えてるのは




子供の趣味にとことん

付き合ってくれる親が

羨ましいと思った。



私はただ、母と好きなものを

共有したかったんだと思う



でも



子供の言うことだから



と。


親は相手にしてくれなかった。



私はただ、共感して欲しかった



良い、悪い、趣味が違うのは

当たり前として



否定ではなくて



共感して、寄り添って

欲しかったのである。


ただ、今なら


少しわかる




母は、どこかで




自分は母親だから



自分は、大人だから と


共感したい気持ちに蓋をした時が

あったんじゃなかろうかと。


みんなどこかで

自分にレッテルを貼るんだと思う

こうあるべき。



私は、特に1番下の末っ子で


上の真似事で、

なんとか生きてきた人間なので



真似することはできるけど


自分の意思で歩くことは

中々に苦手だった



でも最近、


自分で自分の人生の舵を切ってみた


どんな自分になりたいのか


どんな場所に身を置きたいのか



どんな人に囲まれたいのか



深く掘り下げた時に



私は道を変更した


なりたい自分になるために


嫌いな自分を諦めた


もうやーめたってした。




すると、面白いことに



散々悩んでいたことは

スルッと過去のことになった



拘っていた自分の姿を諦めて


新しい自分をイメージしたら



スルッと解決した




こうあるべき 



こうしなきゃいけない



に囚われていた時の自分は



自分で自分が嫌いになっていた




私を幸せにするのは



恋人でも、親でも、友達でもない、

物体でもない



私が私を幸せな気持ちにすることに

全力になることにした


そうしたら



やっちゃいけないことよりも


やっていいことの方が増えた



『やってもいいし


やらなくてもいい』



なんでやっちゃダメなの?の答えが



他人の意見なら

自分の意見を聞いてみる




世界を広げる扉ならいくらでもある


でも開けないのは自分自身



本当は怖い

ドテラの話だって、

ネズミ公だって何回言われたことか


臭い油だって嫌な顔されたことか



私がこの仕事をする理由も


そんな暑くなってって

引かれて連絡こない人もいる

でもなんでやるかって言ったら



私は、自分で自分を満たすことが

どれだけ必要か知ったから


パートナーのせいじゃない



子供のせいじゃない



親のせいじゃない


職場のせいじゃない



場所のせいじゃない



お金のせいじゃない



世界を変えるのは自分



でも助けてくれるのは 栄養




心も、体も栄養が大切





自分には何が必要か



自分はそんな自分でいたいのか



不必要なものは削ぎ落とす



私にとって1番必要なのは



知識と、栄養だった



大切な人を守れるように知識が欲しい




自分を守るために、栄養が欲しい



自分が将来、子供を産んで


しっかり育ってくれた時に


目の前に 

しっかりと花が咲いてて欲しい


川が流れていて欲しい


土を触れる世界でいてほしい

っておもう。