こんにちは!ジーコです!
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。今週は少し暖かい陽気が続きそうですね。
暦の上では春ですが、これから益々春の兆しを感じるようになってきますね!
さて、過去二回の投稿は「今後の世界」と題して思うところを書いたのですが、今回を最後にしようと思っています。でも少し長くなりそうなので、いくつかに分けながらアップしていきます。
今後10年の間にこの世界がどうなっていくのかを予測することができれば、自分の立ち位置や方向性も決まるのではないでしょうか。そうすれば、様々な決断に際して比較的迷うことなく決めることができると思います。
ジーコの場合は娘やすべての子ども達の明るい将来のために、少しでも実のあるアドバイスや一緒に考えていく機会に繋がればという願いがあるので、そのために自分なりに調べたり、勉強したり、生活の中で実践したことを共有したいと思います!
「お金」「労働」「経済」をキーワードに考えていきたいと思います。
どうぞ、お付き合いくださいませ!
オクスフォード大学の若き天才マイケル・A・オズボーン准教授は今後10~20年の間にアメリカにおける既存の職業の48%がロボットやAI(人工知能)が担うようになるという見解を示しています。
芸術関係や創造性に関する職業は残るだろうとされていますが、専門分野の職業も淘汰されていくとのことです。
詳しくは「エストニアで消えた職業」をお読み下さいhttps://ameblo.jp/cccfhl/entry-12302595167.html
現在4歳であるジーコの娘が二十歳を迎える頃には、この世界はどうなっているのでしょうか。
きっと、想像もできないような世界が広がっているのでしょうね。私達は今、価値観や社会システムの大変換期に私達は生きていると言っても過言ではないと思います。
一分先の未来もどうなるか知ることのできない私達たちですが、今後社会はどうなっていうのか観察し予測することはできます。そうした上で今の私達の立ち位置を見定めつつ、将来に対して準備していくことが求められているのではないかなと思います。
さて、冒頭で少し触れましたが、20年後の社会はAIやロボットがほとんどの仕事を人間に代行していると書きましたが、現代科学技術の進歩やハイテクノロジー化によって先述した様な時代へとこれから突入していこうとしているわけです。
ですから、今後今までの「仕事」「労働」について働くことの意味や考え方や求めるもの、価値観がこれまでのものとは全く違うものになってくるでしょう。
どのように変わっていくのかをお話するまえに一般的な「労働観」について触れておきたいと思います。
特に西洋における「働く意味」を考察するにあたり古代ギリシャ時代にまでさかのぼります。
彼らの文化や思考では仕事というのは奴隷や罪人がするものと考えていました。実際に古代ギリシア社会ではそれで社会が成り立ち経済もまわっていたのです。では彼らは何をしていたのかというと、もっぱら政治や芸術などの精神活動と娯楽とに明け暮れていました。私達からすると、とても羨ましい気がしますね。
しかしギリシア人の中にも貧富の差はあったので多くの奴隷を所有している裕福な市民に限られていたでしょう。貧しい者はやはり自分の手で仕事をしなければなりませんでした。
しかし、彼らの思想の根底には「労働」に対する考え方に「罰」という概念があり、仕事は奴隷がするものという前提があります。
つまり「働く」ということは人類に与えられた苦役であって苦しみ以外の何物でもないとうことです。
この概念は初期キリスト教にも原罪として反映されていきますが、中世になって宗教改革者ルターによって労働に対して「労働=卑しい」から「労働=神から与えられた聖なる業務」という新たな見方が加わりました。
どのような仕事も無意味なものはなく、神から与えられた意味あるものということです。
そして「産業革命」、「大量生産」の時代へ移行するようになると機械による労働の質的変化が「労働聖職論」への疑念をもたらし「良い労働と悪い労働」論が登場するようになりました。欧米における「働く意味」というのは上記のような労働観の変遷を辿りながら今日に至っており、私達日本人も少なからず欧米の思想的な影響を受けています。※「日本には傍(はた)・楽(らく) 仕事は自分の周りにいる人を楽させてあげるもの」という労働観があります。
さて、私達の基本的な労働に対する考え方は、突き詰めていくならば「今日の糧を得るため」のものです。
明日の生活のために、多くの人はやりたくない仕事を、毎日ストレスを抱えながら仕事をしています。
まさに労働は何かの罰であり苦役であって招かざる客のように感じながら仕方なく毎日を過ごしている人が多いのです。
「おい!そんなこと言ったって働かないことには生活していけないじゃないか!」
こんな声が聞こえてきそうですが、別の言い方をすると「働かないとお金がもらえないじゃないか!」
このような発想はむしろ普通なのかもしれませんね。
「労働=対価」が資本主義の原動力であり、根幹を成す考え方ですね。そして市場内で競争を生み出すことによって商品やサービスの質的向上がなされ経済成長が促されていきます。しかし資本主義の目的は利潤追求ですから、必ず貧富格差による勝者と敗者、支配者と被支配者という構図が生まれます。それは現代社会が抱える問題の病巣ともなる原因にもなっています。
誤解を恐れずに言うならば、私達は結局のところお金のために労動をしています。いや、「お金のために労動させられている」と言えるかもしれません。もっと言えば、現在の貨幣制度によって人は奴隷化させられ、先程の古代ギリシャ時代の労働を担っていた奴隷のように、ある特定のグループの人たちや国家のために日夜働いているとも言えます。その道具として貨幣が使われています。
私達が奴隷?
次回は、その根拠となる説を一つご紹介します。
それは「農耕社会システムが現代社会の抱える問題の原因である」というものです。 (続く)