(「その3」の続き)
2000年1月17日、遺族4人(Mさんの両親、妹、従兄)が、Mさんの退職手続きをとるために広島県江田島の1術校に出向いた。
手続き終了後、遺族はMさんの「自殺」の件を調べた江田島基地の警務分遣隊長に面会した。
分遣隊長によると、「Mという(海上自衛隊江田島基地所属の身分証明書を持った)男性が自殺したのだが、海自の広島江田島基地の第1術科学校の所属であることに間違いないか?」という照会は、
「徳島県警阿南署」→「徳島の海上自衛隊小松島航空基地警務分遣隊」→「広島の江田島基地警務分遣隊」
の順になされ、
江田島の警務分遣隊がその照会を受けたのは12月27日の午前9時半ごろだった。
(ちなみにMさんの司法解剖が終わったのが同日の午後6時ごろ。関係者の時間や表現に関する記憶に間違いがなければ、阿南署は司法解剖の結果が出る8~9時間も前に「自殺」の結論を下していたことになる。)
江田島の警務分遣隊では「自殺」を前提としたこの照会を受けて、Mさんの官舎の部屋を調べたり隊員に聞き取りをした結果、「結婚相談所の領収書(5千円)」が見つかり、また、「Mさんが普段電話を掛けない相手に帰省の日に電話をしていた」ということがわかったので、
自殺の原因は女性関係での悩みだろうと考え、先に照会をしてきた徳島の小松島警務分遣隊に領収書と電話の件を報告したという。
2000年1月18日(午前中)、遺族3人(Mさんの父、妹、従兄)が、阿南署で刑事課のA警部補から警察の見解について説明を受けた。
(以下、手記からそのくだりを、そのまま抜粋)
私は阿南署のA警部補に、もう一度きちんと説明をしてほしい、と電話しました。
妹「先日はお世話になりました。その後の捜査状況についてお聞きしたいんですが、いつお伺いしたらいいですか?」
A「18日の午前中やったら空いてますね」
妹「その時、裁判所に勤めている従兄も一緒に聞きたいと言ってるんですが」
A「裁判所の人間が来ようが何も変わらんのやけんなぁ!」
裁判所という言葉を聞いた途端、それまで事務的だったA警部補が怒鳴り始めました。
妹「いえ、(その裁判所の人間は)私のいとこです。私たちがきちんと説明を理解できなかったら困るので付き添ってくれると。身分を明かしたほうがいいのかと思って・・・」
私の言い訳にも納得がいかないのか、警部補は渋々といった感じで、「まっ、裁判所でもなんでも結果は変わらんけん」と電話を切りました。
(中略。妹は以下に続く話をカセットで録音した)
ファイルブックを持ったA警部補が入ってきました。
警部補はまず、兄の遺体があった状況から話し始めました。
兄は車が止まっていたのと反対側の車線の橋の下にいました。
欄干の直下から4.2m先のところに頭を置き、橋とは垂直の方向に仰向きに横たわっていたといいます。
橋の高さは約16m、長さは43mで、そのほぼ中央、19.2mの所の欄干の外側に兄の足跡がありました。
しかし、車から欄干までには本人の足跡はまったくなく、欄干の足跡も左右の判断はできなかったといいます。
頭は中州にあって、体は水深10cmの川に浸かっていたそうです。
靴は両方とも脱げ、遺体から40cmぐらいのところに踵(かかと)を踏んだ状態で転がっていました。
落ちた姿勢は、まず足が地面につき、「相撲取りがシコを踏んだように」お尻が沈み、背中、頭の順に横たわったといいます。
そして(欄干の外側に付いていた)足跡が内側(つまり道路側)を向いていたことから、兄は後ろ向きに「1時間ぐらい迷った挙句、怖いけど、ためらうことなく」飛び降りたというのです。
遺体は27日午前2時30分に橋の上からサーチライトを照らした阿南署員によって発見されました。
その後、写真撮影のために辺りが明るくなるまで待ち、4時30分ごろポケットに入っていた身分証明書から身元確認がされました。
(中略)
また兄の車から血液反応はなく、兄の指紋以外は検出されませんでした。
「私たちの指紋は? それに欄干のそばに私たちの足跡もなかったんですか?」と聞く父に、A警部補の声色が変わります。
A「そりゃあったでしょ。でも本人が運転していたことが分かればいいんですよ。事件性があれば当然、調べましたけど。事件性ないもんね」
ということは、現場鑑識の段階で、すでに事件性なしと判断していたことになります。
それはもちろん、司法解剖に出す前です。
少なくとも、この段階ではあらゆる可能性を考えなければならないはずです。
父は質問を続けました。
父「事故現場のガードレールに車をぶつけてますよね。その横からオートバイが発進したようなタイヤ痕があったんです」
父の言葉にA警部補は「フンッ」と鼻を鳴らし不機嫌になっていきます。
A「もし他の車両と当たってたら、当然本人の車にも塗装が着くわね。でも着いてませんもんね」
父「阿南に暴走族はいないんですか? それに巻き込まれたのかもしれない」
A「阿南に暴走族はいません」
父「でも息子の同僚も、本人から『いつも行くドライブコースに暴走族が出て困る』って聞いてるんです。それで、阿南方面で暴走行為があるとか、走り屋がいる可能性はないんでしょうか」
するとA警部補は、あっさりと前言をひるがえしました。
そしてその声は、私たちを威圧するかのようにどんどん大きくなっていきます。
A「それは阿南だけでなく、全県下にあります。でも現場に本人以外のブレーキ痕がない。しかもずっと追跡されているのであれば、かなりの距離を走ってますんで、対向車などから、通報が入ってきたりすると思うんですよ。車やバイクが取り囲んで走っていたら分かると思いますんでね。それに、あの日は天気が悪かったしね」
頭から湯気が立つのではないかと思うぐらいの剣幕でした。
(中略)
A警部補の説明は続きます。
ガードレールの事故はなぜ起こったのか、本人に聞いてみないと分からない。急ブレーキや急ハンドルを切った様子もなく、速度も50km/hぐらいしか出ていなかっただろう。
兄の車は事故を起こしてから、パンクしたタイヤを引きずりながら8.2kmも走り続けました。
その間に摩擦によって溶けたタイヤが、車道にベットリとつけられています。
事故でエアバッグが開いても、それでもまだ車が走れなくなるまで走っている。
その状況を見てもなお、第三者の関与はなく、自分で死ぬ場所を探していたのだというのです。
(中略)
妹「25日の朝、兄の車を私が手洗いしたんですよ。その時には傷なんてなかったのに、26日夜は、右側の屋根のところに3か所ぐらいドンッドンッドンッと叩いたような跡があったんです。その右側の傷が、父も私もすごく気になっていたんですよ」
運転席屋根部分にある叩かれたような傷跡は、兄が家を出た朝にはなかったものでした。
なのに発見された車には、傷がつけられていたのです。
それまで自信たっぷりだったA警部補の表情が、一瞬曇りました。
何を探しているのか、懸命にファイルをめくりはじめます。
A「右の屋根の方にですか? その傷が出かけるまでなかったんですか? 25日の朝は?」
妹「25日の朝はなかったんです。それで福井派出所の森下さん(仮名)にも言ったんですけど、取り合ってもらえなくて。だから、森下さんも・・・」
私が答え終わらないうちに、怒鳴り声が降り掛かりました。
A「車が凹んでいるから第三者がおるという結論には結びつけれんわね。ハッキリ言って、私たちは本人に聞かないと分からない。運転席の屋根の傷も、本人が何かをしようとして痛めたのかもしれんし、ウインドウの上の部分だけがそうなっていたから、他に人がおったと結び付けるというのはね」
妹「じゃあ、警察の方は屋根の傷というのは気にならないんですか?」
A「はい」
なんで気にならないんだろう。傷があったからといって、第三者がいたことの証明にはならないかもしれない。だけど、いなかった証明にもならないはずです。むしろ、「第三者がいた」可能性のほうが高いのではないでしょうか。
父や私が質問をしても、A警部補の意図に反すること、聞かれたくないことに関しては全て怒鳴り声で終わらされます。
次第に私たちは、取り調べを受けている犯罪者になったかのような錯覚さえ覚えるようになりました。
しかし安置室でぬれた兄の姿を見た父の胸には、ずっとある疑問が残っていました。
兄の遺体の顔は左側が腫れ上がり、右腕には数本の痣がありました。
そしてその顔は、兄の顔を知る人はみな、口を揃えて、「普段のむっちゃんの顔ではない」と言うのです。
父「息子の腕に痣がありました。それに顔の左側が腫れていたんです。あれは調べてくれたんですか」
A「エアバッグによるものではないかと思うんです。もしエアバッグが開いてなかったら、あれだけの事故をして衝突しとったら、当然ハンドルになんか当てますからね。腕のとこは検案のほうでも特に出てないし。私たちが見た場合では特に、それがどうとは書いてないんですよね」
検案とは、死体検案書のことで、直接の死因やそれに準ずる傷が書かれています。
それまで声を荒げながら話していたA警部補は、兄の遺体の説明になると雄弁に語りはじめました。
A「私の判断というよりは、警察の判断と申し上げてよいですが(笑) ハッキリ申し上げて、過失による可能性は低いと。結局、転落したこと以外による怪我がないわけですよ。エアバッグも開いているし、あの事故では怪我はしないでしょ。司法解剖した結果、転落の時に死因である怪我を負ったことが分かりましたんで」
(※ (笑)という部分も原文ママです。私が勝手に付け加えたものではないので、念のため。)
(中略)
(A警部補によると)致命傷の胸部大動脈損傷は、転落した時に背中からの衝撃で切断されたもので、橋から落ちる以前には、損傷は一切負っていないそうです。
そして「最近は動機がない犯罪が多い」と言いながら、兄の事件は「動機がないから自殺だ」と言います。
警察のストーリーはこうでした。兄には借金やトラブルもなく、家庭も円満である。徳島に住んでいないことから、怨恨も考えられない。自衛隊からの報告、司法解剖の結果、そして最後に女性と一緒にいたことを照らし合わせると、「女性関係のもつれによる自殺」と判断できる。自殺の直接の引き金となったのは、交通事故を起こして自暴自棄になったためだ。
(中略)
A警部補の説明は、到底納得できるものではありません。
疑問や質問には一切答えてもらえずに、ただ阿南署の捜査結果を聞かされるだけでした。
少しでも「変だ」と言おうものなら、そこからは怒鳴り声が私たちを襲うのです。
(中略)
そして説明の中で、A警部補の口からはっきりと「自分で自分を殺る」という言葉を聞いたとき、心がキュッと泣きました。
調べもしないで何が分かる。疑問は全て放ったらかしで、なんでお兄ちゃんを(最初から自殺と決めつけていたにもかかわらず司法解剖で)切り刻んだんや。
警察が調べないのなら、私が調べるしかない。そのとき強く思いました。(引用終わり)
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2000年1月18日(午後)、阿南署A警部補から約1時間ほど話を聞いた同じ日の午後、遺族3人(Mさんの父、妹、従兄)は、今度は徳島大学医学部法医学教室に出向き、Mさんの解剖を担当して死体検案書を作成した医師から所見を聞いた。
(以下、手記からそのくだりを抜粋)
徳島大学医学部は、一般外来病棟の隣に各学科の建物があります。
正門を入り、右にある古い建物が法医学教室でした。
お昼の時間を過ぎた駐車場には、外来患者の車も少なくガランとしています。
カバンの中の録音用テープレコーダーに新しいカセットテープを入れ、教室へと向かいました。
説明をしてくれたのは、兄の解剖を担当し、死体検案書を作成した30代半ばのB医師でした。
B医師は「司法解剖の説明は、本来できないのですが・・・」と言いながら、遺体の状況を話し始めました。
(それによると)兄の遺体には致命傷だけでなく、全身にたくさんの傷があったそうです。
その全ての傷について、「かりに殴られてできたものだとしても、警察ではないので言えない」と言われました。
B医師の所見では、兄には骨盤、腰椎、頸椎の骨折があったことから、まず尻から落ち、次に背中がドンと落ちた、ということです。ちょうど、尻餅をついたような感じです。
また、頭部にまったく損傷がなかったことから、前向きに落ちてはいないことが分かるといいます。しかしだからといって、後ろ向きに落ちたとも言い切れないそうです。
また死因は、肋骨と胸骨が陥没骨折を起こし、その下の大動脈が裂けたことによる出血性ショック死でした。
(※ 他の資料---未解決事件本『真犯人に告ぐ』---によると、この時の肋骨と胸骨の骨折箇所は5か所であり、この陥没骨折の圧力で胸部の大動脈が圧迫されて切れ、内部で1.3リットルの出血を起こしたのが致命傷となった、とある。)
「致命傷の胸の動脈が破裂したのは、やっぱり(橋から落下したときに)お尻を打ったからですか?」
A警部補から聞いた説明を、解剖した医師にも確認します。
「いや、そうじゃないと思います。(橋から落下したときに背中からの衝撃で損傷したのではなく、胸の)前から何かが当たってるとしか考えられないですよね」
「前からですか? 先生が言う姿勢で落ちていたとしたら、前は打たないですよね?」
「ええ、そうですね」
血の気が引くような思いでした。
今朝、阿南署でA警部補から聞いたこととは、まったく違う説明が解剖医の口から出てくるのです。
(※ 阿南署のA警部補は、致命傷の胸部大動脈損傷は、橋から落下した時に尻→背中→頭の順で落ち、背中を打った時にその衝撃で胸部大動脈が切断されたもので、橋から落ちる以前には、損傷は一切負っていない、と遺族に説明していた。)
どちらが本当のことを言っているのか。
緊張のために指先が小刻みに震えだします。
「胸部の損傷は別のときのものですか?」
「地面に落ちたときではありませんね。肋骨、胸骨が折れているというのは、胸自体に何かが当たったということですね」
A警部補は、事故の時に怪我はしなかっただろう、と言っていました。エアバッグが開いて頭を受け止めていたし、あれぐらいの事故では怪我はしないという見解でした。
さらにB医師は解剖をした際の記録書のようなものを見ながら説明を加えていきます。
「胸の損傷は橋から落ちるよりも前に受けた可能性が高いですね。どう考えても、落ちたときのものとは違います。どういった形状の物で傷が作られたか判断するのは難しいですね。露出してない部分のものですので。素肌であれば形が残る場合もあるんですけど。着衣を介しての傷ですからね」
「死体検案書では胸部大動脈の損傷が直接の死因ですが、それは落ちる以前に負っていたということですか?」
私はもう一度確認してみます。
「考え方としては、そうなると思いますね」
だんだんと心臓が早く打ち始め、自分の想像を超える説明に酸欠状態のようにクラクラしてきました。
兄は橋から落ちる前に、すでに致命傷を負っていた---私にとっては決定的な言葉でした。
(中略)
「大動脈の損傷は、どの程度のものだったんですか?」
動揺を隠せない私の隣で、従兄がB医師に問いかけました。
「切れてズレてましたね。場所的には本当に狭い範囲で、胸の中心前後ですね。心臓に近いところです」
「シートベルトの跡は?」
「仮にシートベルトをしていたとしても、ご本人はかなり厚着でしたので、跡が着くのは非常に難しいですね」
父も身ぶり手ぶりで、自分の手でハンドルの形を作り、胸の骨折がハンドルによって起こったのかを尋ねます。
しかしB医師は自分の胸の前で、両方の親指と親指、人さし指と人さし指を合わせて小さな円を作りました。
「面で言えば、これぐらいです。比較的短く、幅が狭いものですね」
胸の損傷は、前からの、ほぼピンポイントの直接的な外力によって負ったとしか考えられないそうです。
「なぜ(致命傷となった胸部大動脈の損傷が橋から)落ちる以前(に生じていたの)だと分かるんでしょうか?」
「この腰とかお尻の損傷が、お尻から落ちたときに発生したと仮定すれば、(Mさんの遺体は)出血が少なすぎます。骨盤骨折はそれだけでも致命傷になるような大量出血を伴うのですが、ほとんど出血がありませんでした。
つまりそれは、胸部大動脈がすでに損傷し出血していたため、骨盤が骨折したときには(ほとんど)出血がなかったということなのです。このことから、骨盤骨折と胸部大動脈損傷の原因は別のものであり、また胸部大動脈の損傷の方が時間的には先に発生していることが分かります」
(※ 他の資料---未解決事件本『真犯人に告ぐ』---によると、橋から落下したのは胸部大動脈を損傷した後だが、解剖医によると、落下によると思われる損傷---脊椎骨折・骨盤骨折・尾骨骨折など---にもいくらか出血はあったため、落下の時にはまだ息はあったと思われるという。)
私は母からB医師にどうしても聞いてきて欲しい、と頼まれていたことがありました。
兄が何を感じながら亡くなっていったのか、母にとっては、なによりも知りたいことでした。
「兄は寒さで眠るような感じに近かったんでしょうか?」
「寒かったというより先に、出血の方で全然動けなかったと思うんですよね。あまり意識はないと思いますよ。当然、脳の方にも影響が出てきますんで。正常な人とまったく同じような判断はしていないでしょう。どこまで自分で考えて、行動をとったかというのはちょっと・・・」
(中略)
(B医師によると)兄の遺体にはアルコール、薬物反応は一切ありませんでした。
死亡推定時刻は、12月25日午後9時から26日午前3時の間。
丸一日以上、寒い屋外で発見されずにいたため、6時間の幅があるというのです。
阿南署では「亡くなったのは午前零時きっかりで、本人は午後11時に現場に来て1時間迷った」と言われました。
私にはB医師の説明の方が納得できました。
(中略)
書類の束を手にしての説明は40分ぐらいでしたが、B医師の誠実さが伝わってきました。(引用終わり)



