ブログを何から書き始めようか迷いました。
何度考えてもやはり今の自分には避けて通れない,うつ病の話をまずしようと決めました。
重い話が嫌な方や,本当につらい思いをされている方は,スルーしてやって下さい。
この記事が同じようにうつ病に苦しむ人にとって少しでも支えになれば,もしくは境遇が近い人の何かのヒントになれば幸いと思い,こうして体験を文章に書き起こします。
まずは私の概略から。
高校以前のことは今のところ省略します。長くなるしお聞き苦しいと思いますので。。。
進学高校で上の下くらいの成績だった私は,「就職に有利」という理由で理系を選択し,そのまま某地方工業大学に進学,大学院修士課程まで勉めました。
大学時代~就職まではとにかくパワー・行動力・決断力で乗り切るスタイル。
家は特に裕福ではなかったので,アルバイト掛け持ちと奨学金で学費と生活費を稼ぎつつ,睡眠時間を削って生活と学業を両立させていました。あまつさえサークルも3つハシゴしてましたから,殆どゆっくりする時間はない感じでしたね。
今の奥さんと出会ったのもこの頃です。
相当異常な生活スタイルでしたが,気力も体力もみなぎっていた当時は,少しも苦には感じませんでした。高校時代までもそうですが,生徒会長や部長などに指名されやすいタイプで,比較的友達は多く,交友関係も広かったと思っています。
(注:いわゆる「陽キャ」では間違ってもありません。本質は根っからの「陰キャ」です)
大した大学ではないですがストレートで卒業した後に上場企業に就職しました。
大学時代の専門とは少しズレた業種でしたが,当時の自分はエネルギーに満ちていましたので,「やればなんとかなる!どんな困難も命を削って努力すれば必ず突破できる!」と,危険な宗教のように盲信していました。
就職後も希望の部署に配属され,尊敬する上司,頼りになる先輩の下で順調に社会人生活をスタートしました。
配属地は生まれ故郷からは新幹線や飛行機を乗り継いで半日以上かかる遠方です。
就職3年後には大学時代から交際を続けていた奥さんを就職地に呼び寄せ結婚。
新婚生活をスタートしました。
それから数年して、長女・長男も生まれ,奥さんに支えてもらいながら充実した日々を過ごしていました。
上司は何度か変わりましたが,同じ分野で10年以上を勤め上げ,業界界隈ではある程度個人名で認知してもらえる程度にはなっていました。
そこまで,残業時間月150時間は当たり前。土日も祝日もお構いなしでやってましたので,いま改めて話すと,子育ても含めて奥さんには相当負担をかけていたようです。
本当に,申し訳ない限りです。この辺の詳しい懺悔はいずれ別記事で書きますね。
業歴が10年以上になってくるとそれなりに部下や組織を持たされるのが常かと思いますが,当時の自分も何人かの部下といくつかのプロジェクトを任されました。
今までは「自分が他人の2倍頑張れば勝てる。他人の助けは必要ない!」を信条としてきましたので,「部下と上手にコミュニケーションをとって組織としての全体最適を図ること」は新しいチャレンジでありましたが,当初は新鮮に感じてバリバリやっていました。
いくつかのプロジェクトは困難ながらもなんとか予定通りに進め,抱えていた仕事のいくつかが手を離れていこうかというときです。
突然「それ」は訪れました。
最初に訪れたのは,「難読」。資料の言語を目で追っても,頭の中に入ってこないのです。
次が,「睡眠障害」。眠れない。寝てもすぐ目覚める。早朝に目が覚める。
さらに,「摂食障害」。食欲がまったくなくなり。2か月で15㎏体重が減りました。
そして「アルコール依存」。元々好きなほうでしたが,酩酊状態まで飲まないと眠れないので,ウイスキーのボトルを2日で一本。最終的には1日1本空けるほど毎日飲んでいました。
それでも何とか だましだまし社会生活を送っていましたが,一部の人間は顔色や目つきから異常さを感じ取っていたようで,産業医との面談を設定されました。
このときはやたらとハイテンションで「大丈夫です!」「全然平気です!」と時間いっぱい繰り返していたのを覚えています。
産業医の診断は「問題なし」。
思えばこの時に異常を伝えていれば,ここまでこじれることもなかったかと後悔しています。
それから3か月ほど同じ生活を続けた頃,突然「それ」は訪れました。
会社に行こうと布団から体を起こそうとしても,体が全く起き上がらないのです。
本当に当時は信じられない体験でした。
頭では早く起き上がらなくてはと四苦八苦しているのに,体は鉛のように重く,一向に起き上がることができないのです。これが詩的な比喩ならいいのですが。実体験なのです。
そしてそんな格闘を繰り返すうちに頭の中を徐々に支配していく言葉。
「死にたい。消えたい」
色々な考えが交錯する脳内で,すべてはその言葉に集約していきました。
当時の自分には訳がわからず,何とか這い出るように床を出て支度を済ませ,会社に向かうため車に乗り込みました。
しかし 車の運転がままならないのです。
集中力は散漫,視界は泳ぎ,手は震え,脈拍が異常に早くなっているのが測らずとも分かりました。
その症状は車が会社に近づくにつれて悪化し,さすがの自分も「このまま運転するのは危険だ」と判断して路肩に車を停めました。
今から考えればありえない思考ですが,ここで人生で初めて,スマホで適当に検索した最寄りの心療内科に電話します。
「今日診てもらえるならそこに行こう。診てもらえないなら,死に場所を探して死のう」
そう本気で考えていました。
(※心療内科は通常予約制で当日の飛び込みを受け入れてくれる所は稀だと思います。今になって思いますが,本当に危険な二極化思考状態でした)
電話口で受け付けの方に現状を伝えましたが,なかなか受け入れは厳しい様子。
電話の向こうでどうやら先生とやり取りをしている会話がとぎれとぎれに聞こえ,
「とりあえずすぐ来てください。先生が状態を確認して,緊急性があれば診察します」
と言ってもらえました。
今思い返してもこの日の経緯は本当に綱渡りで,たまたま運よく綱から落ちなかっただけだと思うと,今でもぞっとします。
次回, はじめての「うつ病」 ①初めての心療内科 に続きます。