カール・マローン(Karl Anthony Malone、1963年
7月24日
-)は、アメリカ合衆国
の元バスケットボール
選手。長い期間にわたり高いレベルのパフォーマンスを維持した史上屈指のパワー・フォワード
だった。歴代第2位の通算得点記録を持つ(36,928得点)。19年間の現役時代のほとんどをNBA
のユタ・ジャズ
でプレイした。1996年
にNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれている。1997年
と1999年
にMVP
受賞。1992年
と1996年
にバスケットボール男子米国代表としてオリンピック
に出場、金メダルを獲得した。ルイジアナ州
サマーフィールド出身。
マローンはメールマン(the Mailman、「郵便配達員」の意)のニックネームでも知られる。これは彼がルイジアナ工科大学でプレイしていた時期に記者がつけたあだ名で、郵便配達員のようにどんな時にも確実にボールをゴールに「配達する」という意味が込められている。
13人兄弟の末っ子として生まれ、母シャーリーの女手一つで育てられたマローンは、地元ルイジアナ工科大学で3シーズンプレイした後、1985年のNBAドラフト
でユタ・ジャズ
に1順目第13位で指名されて入団した。1年目は平均得点14.9、平均リバウンド8.9と、新人としては立派な成績を収め、オールルーキーチームに選出される。
2年目以降は、キャリアのほとんどを平均得点20点以上、平均リバウンド数10本前後とオールスター級の数字を残すようになる。これはマローンの前年にジャズに参加していたジョン・ストックトン
の台頭に負う部分が大きい。ストックトンのアシスト
からマローンの得点というパターンがよく見られるようになり、1980年代
から1990年代
にかけてマローンが平均得点30点前後を記録するのに対し、ストックトンは毎年のようにリーグ最多の平均アシスト数を達成するようになる。人々はしばしばマローンとストックトンを結びつけて考え、二人はNBA史上屈指のコンビと呼ばれるようになる。オールスターには1988年
から13回連続で選ばれ、ユタ・ジャズの本拠地ソルトレイクシティ
で開かれた1993年
には、マローンとストックトンはともにMVP
を受賞している。
ジョン・ストックトン
のアシストからカール・マローンが得点するというパターンでは、二人によるピックアンドロール
も重要な要素だった。ディフェンダーの動きを阻止してフリーになった選手が得点するという一連の動きはオーソドックスで、相手チームにもよく知られていたが、二人のコンビネーションは非常によく機能し、いわば分かっていても止められないプレイだった。
身長206cmで体重116kgのマローンは、体格の優位を活かしリバウンドにも強かった。その一方で、インサイドでの得点ばかりでなく、中距離のシュートも得意としており、ポストからのフェイドアウェイショットや、ペリメーターからのジャンプショットも効率よく沈めることができた。また、決して身体能力に長けているわけではないが、速攻の先陣を切って走り、ストックトンからのパスでダンクも決めるなど、走攻守揃った選手であった。
マローンが19年もの長い間第一線で活躍できたのは、熱心なトレーニングによるところも大きい。誰に対しても内容を秘密にしていたトレーニングにより、マローンはまるでボディビルダー のような肉体を保ち続け、足の様な腕を持つ男とも呼ばれた。その成果もあって、最後のシーズンを除いた18年間でマローンが欠場したのはわずか10試合だけであり、正に鉄人であった。
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