今日は1日何をしていても身が入らない日でした。

 

この記事を書こうかすら、未だに迷っている。

でも改めて自分が振り返った時の今の気持ちとして。

今だからこそ、しっかり書いておこうと思う。

 

 

名古屋から東京へ帰ってくる夜行バスの中で聞いたお知らせ。

フォーク&ポップス博堂村のママ、大塚初代ママが昨晩1時に亡くなりました。

 

去年末から容態が悪化している様子もちらほらと先輩や地元のミュージシャンの方々から伺って知っていて、26日にちょうど病院にこっそり顔を出しに行こうと考えていた矢先のお知らせでした。

 

高校時代の初ライブも。初ワンマンも。

間違いなく僕の大事な原点のライブハウスです。

 

 

急に弱音を吐き出してくれたり、喜怒哀楽が激しくて、わかりやすくって、強くっていつも僕らの帰る場所を意地でも守ってくれていた優しい怖いママ。

 

鬼ママとの噂を兼ねがね伺っていたので、一番最初ブッキングのお願いの電話をした時には、殺されずに済んだ...。と安心した記憶が今でも鮮明にあります。それからたくさんのミュージシャンの方々に出会わせてもらって、僕らの世代のミュージシャンで高校生ライブを企画させてもらったり、世代交代して僕らが引っ張らなくちゃ!って時に、総動員がゼロだった時には、目の前のデイリーでおにぎりを買い占めて、「これが今日のギャラよ。たくさん食べて元気つけてまた来月頑張ろうね。」と怒らず笑いながら言ってくれたこと。かぼすが解散するって時に、「なんでママに相談しなかったの」って本気で叱ってくれたこと。上京して道を踏み間違えそうになった時には叱ってくれたこと。「あれ!?ビール...あぁもうそんな歳なのねー。この間まで耳塞ぎたくなるぐらいヘッタクッッソだったのにね。。」ってもう100回はした記憶がある毎回のくだり。博堂村のココアはどこのココアよりもうまかったなー。

 

あと....

あぁもう朝だ。

数え始めたらキリがないぐらいの思い出が博堂村に詰まってます。

 

ママの好きな玉置浩二さんのメロディーもママに電話をかけた時に流れる待ちうたの「時には昔の話をしよう」もやっと歌える年齢に少しずつなってきて、次の博堂村ライブでは歌えるように準備していた時に、ママのうれし涙をもう一度見ることができないですごく残念です。早すぎるよ、ママ。

 

計り知れないほどの苦痛を伴う闘病生活だったと思います。

やっと解放されて天国できっと大好きなお酒を飲んでいるんだろうな。

 

伝兵衛さんに会えたかな。 

 

ゆっくり天国で休んでね。

 

いつも僕らのことばかり考えていただろうから、あとは任せてね。

 

 

ママ、本当にお疲れさまでした。

 

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今日、始発で最後のお別れに行ってきます。

それから熊本でギターサポートを三日間頑張ります。

まだまだのまだまだだけどやっぱり僕は歌を歌います。

今日も今日をしっかり頑張ります。

ママに胸張って天国で会えるように。

 

 

名古屋での2日間を振り返る記事よりも先になってしまって、この日の記事を楽しみにしてくれてた方には申し訳ないです。この日はこの日で最高な二日間だったからこそ、改めて、明日にでも書きたいと思います。

 

2017年2月23日