※長文なので二つに分けて書きます。

3月24~31日までの間、宮城県に特別派遣を命ぜられた。

当初、発生直後から第一陣が現地に行き17日までの間、岩手県宮古市にて活動を行っていた。その間も私の職場にはひっきりなしに支援物資が各所から届けられ、その量は日に日に増えて行った。

24日朝、同期や同僚に見送られ出発。片道役1000キロ、所要時間32時間かけて25日夜に宮城県登米市に到着。翌日26日から活動開始となった。

宮城県に向かう途中も屋根にブルーシートをかけた家が多数あったり、東北道は道がずれて段差が生じ、もはや高速道路として機能していなかった。

26日早朝、私たちは捜索場所が南三陸町である事を聞かされた。皆さんが知っているように宮城県内で一番と行っていいほど津波被害があった場所で行方不明者も多数おられるところだった。

宿舎の体育館から捜索場所までは車で約40分。少し距離があり体育館周辺はそれほど被害はなかった。
しかし、その景色は突如姿を変える。それまで談笑していた隊員全てが静まり返り言葉を失った。

想像をはるかに超えていた。建物があったであろう場所は全て瓦礫で覆われ原形をとどめている建物は一つもなかった。

道には衣類等が散乱し、船が陸に打ち上げられ通常では考えられない場所にあった。

東日本大震災②に続く。
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