職場に母がいる施設からの電話。年末から頼んでいる母の白髪染めの件。近所にバリアフリーの美容室があるから、ということで、是非連れて行って下さい、とお願いしていたのだけど。

美容院では吸引の対応ができないから、連れて行けないとの連絡。ふざけてる。普通の外出と何が違うんだ。単なる言い訳にしか聞こえない。

そもそもの発端は、施設に定期的に出張してくる美容室がある、という話から始まって。でも、そこではカットしかやらない、と言われた。でもね、母は体が超不自由なんだから、特別に染めてもらえるようにお願いしてくれてもよくない?それかさ、世の中、星の数ほど業者はいるんだから、染めに来てくれる他の業者に頼んでくれてもよくない?

ま、いろいろ言いたいことはあったのだけど、じゃあどこか出来るところに連れて言ってください、と頼んであったら、今頃になって、美容室で吸引ができない、と言い訳。そんなの、吸引器持ってけば、一発で解決じゃない?看護師のアレンジとかだって、全然無理な話じゃなくない?てか、そもそもこれまで日中、吸引する事態があったか、っていう話よ。家族が外出に連れて行く時だって、吸引器なんて持ってってないし。

と、そこでも言いたいことはあったのだけど、じゃあ、部屋で私が染めるからいいです。ただ、その後、お風呂に入れて頭を洗ってください(母は機械浴)と言ったのだけど。これって、超fairな提案じゃない?

な・の・に!母の「お風呂は、月、水、金です」。怒。ほんとふざけてる。お風呂を週末にアレンジするぐらい、できるはずでしょ?母の髪染めるのに、家族に仕事を休めって話だとしたら本当に腹立たしい。爆弾

$働く独身アラサー女子の介護事情-部屋で

今日は成人の日。母の部屋でのんびり仕事でもしようかと思ってやってきたところ。いつもはなかなかゆっくりできないから。でも、母の部屋は、テレビの音はうるさいし、話しかけてくるから、やっぱり仕事にはならなかったわ。。
$働く独身アラサー女子の介護事情-20100110_部屋でココと
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そうこうしてる間に入浴タイムに遭遇。私も立ちあわせてもらった。ここでは完全機械浴。ストレッチャーに載せて、洗髪&体を洗って、ストレッチャーでそのまま浴槽に。完全に足を伸ばして寝たまま入浴できる。

20-30代の男性二人がかりで担当するんだけど。。うーん。。まぁ、考え出すといろいろ考えちゃうから、こういうのは何も考えずに、ありのままを受け入れるのがいいんだと思った。母にもあえて何も聞かないし。。

久しぶりに母の体全体を見て、なんか痩せた感じがした。色も白かった。1年ちょっと前は、自宅で私が入れてたなんて、信じられないくらいだ。あの頃は、お風呂のある2階まで、何とか一緒に上がって、脱がせて、頭と体を洗って、湯船に浸からせて、出して、拭いて、着せて、乾かして、合計1時間半ぐらい。せいぜい週に1回しかやってあげられなくて。最後の頃は、ほとんどデイ・サービスの時に、やってもらってたけど。あの頃は、本当に家では自分の時間がほとんど取れないほど、大変だったなぁ。

前の施設では週2回、今の施設ではなんと週3回も入れてくれる。本当に有難いことだ。在宅では絶対無理。うちの家はお風呂2階だし。

お風呂介助とか、やってることって、子育てのそれとほとんど変わらないと思うんだけど、体が大きくて重い分、重労働さ加減が全然違う。また、子育てには、育ちの喜びがあるけど、介護にはない。

今日できなかったことが明日できるようになるのが子育て。今日できたことが明日できなくなるのが介護。そこには喜びなんてないからね。。。オバケ

まあ、何とか家族みんなで協力してやってるけど。


お正月に弟(32才)がぽつりと、「最近、お母さん、俺たちを喜ばせようとしてくれないよね」と言った。

これは、本当にそう。昔の母ほど、家族や他人のことを想い、自分を犠牲にして、尽くす人を私は知らないほどだったけど。最近では、母は、自分がこう言うと、私たちがこう思うだろう、とか、そういう発想は一切無さそうだ。単に自分の快不快ということの方が、より重要な問題になってしまっているような。今や、本当に子供みたいだなぁ、と思うことがある。病気で性格まで変わっちゃったのかしら。。

そんなことは無いに決まっているとどこかで信じてもいる反面、もしそれならそれでお母さんの気持ちは楽なのかな、とか思いつつ。たまに、自分のことをよく「気配りのA型」と、言っていた、そんな時代のお母さんに、また会いたくなる。。流れ星

実はこのブログのアカウントを取得したのは、2010年4月でした。母の病気、大脳皮質基底核変性症の英名:Corticobasal Ganglionic Degeneration(CBGD)から取っています。

昨年1月20日に、在宅介護を断念し、母を住宅型有料老人ホームに入所させ、不本意・失意の苦渋の決断でしたが、主たる介護から解放され、急激に生活が楽になったときに、何かしないと、という思いで取ったのでした。

ただその後8カ月、忙しさやらで、結局放置してしまいました。

2011年、我が家は初めて家に母のいない正月を迎えました。母の病状は進行し、去年の今日にはまだ母がここで生活していたなんて、考えられない程に、遠い昔のことのように思えました。

何となく、今日から書き始めようと思いました。記念すべきfirst entryです。きちんとした文章とか構成で、と思うと、書けなくなるので、適当なものを適当に書いて溜めていきたいと思います。

その日にあったことだけではなく、昔のことも書きたいので、話も前後すると思います。

取りあえず、今日はこの辺で。。星空