淡路島へ母親と当時飼っていた
猫の「みぁ」ちゃんと
私は地元から姿を消しました。
携帯の番号もアドレスも変えて1から
また歩き出そうと
そう、覚悟しました。
両親のいる、駐在所に行ったものの
パウダーの吸いすぎで
拒食症になり、2度の点滴に
近くの病院へ母親と行き、
なんとか少しずつ口から食べ物を
食べれるようになりました。
知ってる人のいない淡路島。
いざ、元気になると孤独でした。
両親は仕事だし、みぁは猫だし…
ブランドの服すらなく、淡路島で
ブランドと言えば
『しまむら』か『UNIQLO』
本間に過酷でした。
煙草を買いに行くのも2km先の
ローソンまで歩いて行かなければ
なりませんでした。
イライラして、フラッシュバックを
何度も繰り返し、見兼ねた父親がふいに
「紗希、来てごらん」
と、言いました。
行った先は家と繋がっている
交番の事務所。
父親が
「誰にも言うたらあかんで?」
と、取り出したのは
警察官しか付けることの出来ない、
防弾チョッキと腰ベルトでした。
それを私に付けてくれました。
初めて触る、拳銃。
片手では持つことが出来ないほど重く、
私が捕まったときに付けられた
懐かしい手錠。
無線とか、よく分からないものも
あったけれど、何より重たくて
多分3kgほどあり、私は5分もその
防弾チョッキと腰ベルトを
身につけていられませんでした。
そしたら、父親が笑いながら言いました。
「パパはな、これ付けて毎日
市民のため、国民のため、
嫌われても働いてきたんやで」
と。
涙が止まりませんでした。
自分がものの5分も見に纏えない
重たいものを背負いながら
嫌われても、気候が暑くても寒くても
これをつけて仕事をしてきた父親。
それを知らずに、薬物に溺れていた自分。
とても自分が小さく思えました。
「ごめんね。パパ」
泣きじゃくる私をパパは
優しく抱き締めてくれました。
「人間、いつでも変われるからな?
良い方にも、もちろん悪い方にも。」
と、父親は優しくそっと教えてくれました。
〝変わりたい〟
そう再び、私は病気と薬物依存の
戦いに挑みました。
それから、ヤンチャだった私は
父親の血が騒ぎ出したのか
右翼の人と喧嘩になったり、
おばあちゃんが整備もされてない
歩道もない道を重たそうに
荷物を抱えていると自ら助けて
「おばあちゃん、これどこまで持ってくん?」
と、明るく前向きになりました。
もう、幻の光なんて求めない。
お天道様の光浴びて生きていこう。
そう心に決め、学歴もない私は
ヘルパー2級の資格を取りました。
自立出来ると思って1人で
地元に帰ることを決め、帰りました。
誘惑は沢山ありました。
「ポン中、紗希ちー!帰ってきたんか?」
「またみんなでブリろうぜ!!!!」
と、言われても
「この人、まーだ過去のこと言ってんだ。」
と、あしらうようになれました。
だんだん、私の素っ気なさに気付いたのか
薬物友達は自ら、うたわれることを
怖がるかのように、私を避けるように
なりました。
クラブは、たまに行きましたが
サイケではなく、帰ってきたらEDMの時代に
変わっていたので薬物が欲しいと
思う気持ちもありませんでした。
ただ、1人暮らす私は
また境界性人格障害の
〝見捨てられ不安〟
に、駆られていました。
付き合っても、疑っては
相手の気分を害して別れられて…
なかなか病気のことを自分から
言える男性と出会えませんでした。
それでも、薬物には逃げず
毎日なにか一つ、するべきことを決め
生活をしていました。