1979年1月21日、大阪府貝塚市のビニールハウス内で女性の遺体が見つかりました。この女性は強姦され殺害されていました。被害者の内縁の夫が独自に調査を進め、少年Aから自白を得たことをきっかけに、1月27日、捜査本部は5人の少年を逮捕しました。逮捕された少年たちは、地元の不良グループと見なされていましたが、全員が捜査段階で拷問に近い尋問を受け、自白を強要されました。
事件発生当初から、逮捕された少年たちと物的証拠の間には多くの矛盾がありました。
・被害者の体から見つかった精液、唾液、頭髪から特定された血液型は、5人の少年全員の血液型と一致しませんでした。
・現場で採取された指紋、掌紋、靴底の跡は、少年たちのものとは異なりました。
・少年たちが所有していた靴から、現場の土と一致する成分は検出されませんでした。
警察はこれらの物的証拠の不一致を無視し、報道機関にも公表しませんでした。また、少年たちのアリバイを証言した友人も証拠隠滅罪で逮捕されました。
5名のうち1名は控訴せず服役しましたが、残りの4人は無実を主張して控訴しました。大阪高裁は、警察の自白が暴行によって得られた可能性があり、物的証拠の不一致から証拠能力がないと判断し、控訴した4人に無罪判決を下しました。検察官は上告を断念し、この4人の無罪が確定しました。
その後、服役していた1名も再審請求を行い、無罪が確定しました。結果として、逮捕された5人全員が無罪となりましたが、4人が3年1ヶ月、1人が6年4ヶ月もの間、身柄を拘束されるという事態になりました。
この事件は、警察の捜査における問題点、特に拷問による自白強要や物的証拠の無視などが明らかになった冤罪事件として、司法制度に大きな影響を与えました。また、真犯人が特定されていないため、未解決事件としても残っています。

被害者はとても優しい人だった。
犯人とは顔見知りだったが、まともに働かず、度々トラブルを起こす犯人に対して良い印象は持っていなかった。
それでも挨拶はしていたし、困っていれば素通りできず助けてしまう人だった。
犯人はあろう事か、それを好意と勘違いし気持ちをぶつけた。
拒否されると逆上し、欲望のままに犯行に及んだ。
その後すぐに犯人は遠くへ逃げた。
世間では少年グループが犯人だと騒がれ、全く疑われないまま各地を転々とし、逃走に成功。
新たに捜査が始まる頃には、犯人にたどり着く術はなかった。
たくさん証拠もあったし、以前から問題を起こしていた人物なのだからきちんと調べれば真犯人はすぐ分かるはずだった。なのに犯人逮捕どころか、冤罪事件まで発生してしまう。被害者はとても悔しい思いをしている。
冤罪事件に巻き込まれた少年たちは、無罪となっても納得できずに、今もその恨みが晴れることはない様子。
冤罪事件の発端となった内縁の夫は酷く後悔していた。周囲からも厳しい目を向けられ、少年たちの関係者からは報復に近いことをされている。