1991年11月3日の夕方頃、大阪市浪速区に住む高校3年生の福山ちあきさん(当時18歳)がアルバイトの帰りに行方不明になった。

ちあきさんはこの日午前6時頃、キャラクターショーのアルバイトのため、大阪市浪速区の自宅を出かけ、自転車で地下鉄御堂筋線大国町駅まで行って奈良のあやめ池遊園地へ向かった。仕事が終わり、いったん淀川区の会社に寄って、アルバイト先の友人と御堂筋線で帰途についた。

午後6時20分に大国町駅の一つ先の動物園前駅でこの友人と別れたのを最後に、行方が分からなくなった。友人によると、その時ちあきさんは「(ショーのときに着用する)スパッツを買いに行こうかな」と言っていたという。

午後10時半頃、ちあきさんが当時交際していた男性(当時20歳)から自宅に電話があった。男性はちあきさんと電話をする約束をしていたが、ちあきさんはまだ帰宅していなかった。自宅にあったちあきさんの現金は手付かずだった。ちあきさんはこの男性との結婚を約束しており、翌春には容器包装会社への就職も決まっていた。このことから、ちあきさん自らの意思による家出とは考えにくかったため、母親が翌日、警察に捜索願を提出した。

その後の調べで、ちあきさんの自転車は大国町駅近くの自転車置き場に残されたままであることが判明した。また、ちあきさんの失踪から1週間ほどして、福山さん宅に不審な電話や無言電話が来るようになった。ちあきさんの母親は北朝鮮による拉致の可能性もあるとして、救う会全国協議会に連絡。現在は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な特定失踪者リストに入っている。





ちあきさんが北朝鮮に拉致されたことは、確実と思われる。


真面目で、家族に心配をかけることのなかったちあきさん。

規律正しく、真っ直ぐ生きている。そんな自分が好きだった。


事件は突然起こった。何も分からないまま拉致されてしまう。


ちあきさんも大人しく従ったわけではない。できる限りの抵抗をした。


内心とても怖かったが、犯人たちに屈することはなかった。


そのとき、犯人グループの中に見知った人物を見つけた。アルバイトの関係者だ。どうしてあの人がここに?


その人物は、北朝鮮に拉致する人材を選別する役目を担っていた。


美しく、真面目な性格のちあきさんに白羽の矢を立てたのはその人だった。


「おとなしくしていれば殺したりしない。それどころか特別な待遇を受けられるだろう」


そう言われ、ちあきさんはもう家に帰れないことを悟った。


そしてその言葉通り、おなしく従えば生活に困ることはなかった。


権力者のもとに置かれ生活していたが、その人はとても気分屋で振り回されることも多く

ちあきさんは言い返したりすることもあった。


たしかに暮らしていくだけなら困らない。でもここには自由もなく、自己主張することも憚れる。


そんな中で精神的に不安定になりながらも、周りの人と助け合い生きている。