幕末の日本で活躍し、その名を世に轟かせた新選組。その副長として今なお愛され続けている人物が土方歳三です。土方は新選組が瓦解したあとも旧幕府方として戦い続け、生まれ故郷から遠く離れた蝦夷地で最期を迎えました。
明治2年(1869)4月、新政府軍が蝦夷地に上陸し、土方は二股口の戦いで徹底防戦します。翌月には、新政府軍による箱館総攻撃が開始。土方は新選組隊士・島田魁らが包囲されたのを知り、わずかな兵を率いて救援に向かいました。
一本木関門を守備した彼は、馬上で指揮を執りながら応戦しましたが、乱戦の最中に銃弾を受けて絶命します。そして1週間後、榎本の降伏により箱館戦争とともに戊辰戦争が終結しました。
土方の遺体は未だ判明しておらず、ほかの戦死者とともに五稜郭内に埋葬されたとも、別の場所に安置されたともいわれています。五稜郭に関する大正時代の新聞の掲載などから、戦死者が五稜郭内に埋葬されたことは確実なようです。
しかし、土方の遺体という確証はなく、これは新選組や旧幕府軍が彼の遺体を隠したからではないかとも考えられています。
土方歳三は撃たれてもなお絶命しておらず、仲間の手厚い看護を受け一命を取り留めた。
その後蝦夷地を離れ、故郷である日野に戻った可能性がある。
しかし長くは生きられず、傷の後遺症もありそのまま彼の地で亡くなった。
自分だけ生き残ってしまったことに負い目を感じていたため、死を悟った時は安堵している。